2009年 04月 13日
業界批判:ウォールストリート不要論? |
先日書いたAIGに関するエントリーに、数日の間に多くのコメントを頂きました。その多くは、ウォールストリート全般と、その報酬や従業員の態度に対して批判的なものでしたが、これは世論の主流を反映していると思います。
4月4日のEconomistの表紙は、フランス革命の民衆を導く自由の女神が「金持ちを倒せ」というプラカードを持っているものでした。これはロンドンで開催されたG20金融サミット時に発生したデモにより、銀行に対する投石が起こったことなどを反映しての事かと思いますが、公的資金で救済された金融機関が高額のボーナス支払いをした問題は、大きな波紋を広げているようです。
このEconomistの記事「The rich under attack(金持ちへ非難集中)」の内容は、「金持ちが勝ち組・負け組がはっきり分かれる社会を作り出した」、「バンカーやファンドマネージャーは何の役にも立っていない」という批判に関する話です。簡単にまとめてしまうと、ウォールストリートは人の金でギャンブルをしておいて、失敗した時には税金と利下げげ救われると言うのは馬鹿げている、何も創り出さない金融が企業収益の4割もを生み出すまでになり、「大きすぎて潰せない」立場を利用して、「金持ちの為の社会主義」を作り出した、といった内容です。
Economistは市場寄りの雑誌なので、そのような批判に対し、投資銀行の一般従業員も大きな金銭的損失を被っているし、また自由な金融市場は企業の資金調達を助けて、経済発展に大きく寄与した、それを潰すことは経済活動全体にマイナスである、という反論を書いていました。ただ、破綻のツケを納税者に払わせるのであれば意味がない、バブルや不公平さが拡大した後には必ず構造改革が訪れる、と市況経済過熱化の問題を認めた上で、無益に高所得層に対する増税をしても、景気の回復が遅れて「叩いている側に火の粉が降りかかる」と結論付けていました。
このブログも「ウォールストリート日記」ですので、アメリカの金融業界では何が起こっており、またそこにいる人達が何を考えているかといった、ウォールストリート側からの見方について主に取り上げています。ただ内容については、出来る限り物事の両面について触れるように心がけているつもりです。そんなわけで、かつてPE業界の過熱感についても何度か書いたことがあったと思いますが、最近はウォールストリート批判が巻き起こっています。そんなわけで今回は、そのような批判に対して業界の人達がどう考えているのかについて、少々書いてみたいと思います。
ウォールストリート批判の根幹
ウォールストリートに対する批判の根幹は、一言で言ってしまうと、人間の欲望はとりとめがないので、金融業界は必ずまたリスクテイクとバブルに走る。よって金融セクターを経済の成長ドライバーとするということ自体を止めなければ、バブルの再発は防げず、健全な経済社会は実現しない、というものではと思います。
経済に血液(お金)を行き渡させる役割を果たしている金融機関が「カジノ化」してしまうと、プラス(資金供給)よりもマイナス効果(システム破綻)の方が大きくなってしまいます。しかし参加者にいくら「謙虚になれ」と言ってみても、資本主義経済である以上、誰もが一儲けしたいと思っています。そうなると、ちょっとした規制などで危険行為を抑えることは困難であり、だから根本的に業界を改革・解体するしかない、ということなのではと思います。
この議論は、クレジットクランチが発生している今日において、特に「本来の金融機能が果たされず、むしろ害になる」という部分において、説得力があると思います。これは業界寄りのEconomistですら認めている所であり、日本もバブル後のある時期に、銀行の機能不全→貸し渋り・貸し剥がしという形で、同様の経験をしたことは、記憶に新しいところです。(日本の場合は銀行への不信から、まずは「借り渋り」が発生したと考えられますが。)
しかし業界批判に過熱感がある最近は、金融システムを健全な状態に回復させ、その状態に保つにはどうすればよいかという話よりも、ともかくウォールストリートの失態を批判し、懲罰的規制を制定しようとするものが多い気がします。そのように批判が加熱してきた理由の中心は、業界の給与水準が高すぎるように見え、またウォールストリートが反省していないように見えるという事なのではと思います。
給与水準批判
そもそも感情論になりやすい給与水準に関する議論は、Merrill LynchとAIGの社員に対する高額賞与支払いの報道によって、一気に爆発したと言える気がします。公的資金=人々の税金で救済された企業が、破格のボーナスを社員に支払ったとなれば、納税者が怒り心頭するのは至極当然と言える気がします。
一般的に金融セクターの給料は、社会システムによってレベルの違いはあるにせよ、世界のどこでも、昔から高いものであったと思います。日本でも、いわゆる大卒新卒社員の給料平均のトップは、銀行・証券とマスメディアであったと記憶しています。その理由は単純に、金貸し業が収益力の高い事業であるからなのかもしれません。
しかし最近の欧米の投資銀行の高い収益率が、単に過大なレバレッジと無謀なリスクテイクによって実現していたとすると、「儲かっているんだから高い給料を払っても良い」という議論は、正当性を失う気がします。
とは言え、政府が金融セクターにつぎ込んだお金は「ギフト」ではなく、いずれ納税者に返済されるべき資金です。そのことを考えると、人材流出が進むような給与規制は、一時的な「見せしめ」以上に何の効果もなく、どなたかのコメントにあったような「業界からの人材の流出→業界全滅」が仮に実現してしまえば、国民が払うツケは巨額になってしまうがします。
給与規制など導入しなくとも、今後投資銀行が、規制強化によってレバレッジを抑えた状態で、今までのような利益を上げられなければ、業界の平均給与は、それに応じて引き下げられていくと思います。もしくは、一部の優秀な社員の給与水準を維持するために、永続的な人員カットや海外市場からの撤退が発生するかもしれません。
ウォールストリートの給与水準が高い他の理由として、現代金融の仕事が特殊なスキルを要求される「専門職」となっている、という議論もよく聞かれます。そような仕事を担う人材の数は、医者や弁護士と同様に限られているため、労働市場の需給が逼迫するに従って、給料の絶対水準が高くなるという話で、コメントでもご指摘頂いた通りです。この議論は合理性に適っているように思いますし、今後もサービスに対するニーズがある限り、特殊技能者の報酬は高止まりするのではと思います。
それにしても、絶対水準はやはり異常ではないかという批判については、金融機関の取っていたレバレッジが過大であったことが明らかになった今となっては、業界側も否定できないところなのではという気がします。絶対額が高いことに関する批判について、敢えてよく聞かれる反論を書くとすると、以下のようになるかと思います。
まず数年前に、「Goldman Sachsの平均給与は7000万円」とタブロイド紙が報道した時にも書きましたが、大きなボーナスプールの多くは、一握りの経営幹部に対して支払われています。これは金融セクターに限った話ではなく、アメリカの経営者の給料は破格です。(株式による支払いで、現金ではないのですが、その話はまた書きます。)よって投資銀行の給料が高いと言っても、一般社員の平均がこのような巨額であるというのは、誤解だと言える気がします。
次に、精神的、身体的ストレスの多いウォールストリートの専門職においては、10年以上に渡って高給を取り続ける人は、あまり多くないと言える気がします。実際、「自分は命を削って生涯賃金の前払いを受けているのだ」と真顔で主張する人もいますし、業界を去る同僚が英雄視されるといったカルチャーが投資銀行の一部に存在する話を、以前に書いたことがあると思います。
アメリカの人気スポーツであるフットボールの選手生命は、その過酷なプレー環境から、平均で4年程度と言われます。そのことが、彼らを巨額の複数年契約に向けて突っ走らせるわけですが、ウォールストリートでのキャリアにも若干似たような所があり、そうなると業界の単年度の給与水準はともかく、生涯賃金は、実はそこまで破格ではないのかもしれません。
もちろん、そもそもそんなに短期で稼がなければいけないような競争環境そのものがおかしい、という議論もあるでしょうし、また、給与が正当化できるかどうかは、究極的には仕事(業界)の有用性次第だと思います。そもそもウォールストリートは不要な存在なのかについては、最後に書きたいと思います。
業界人は反省しない?
給与への批判と同様に多い指摘に、「業界人は謙虚に反省せよ」というものがあります。前回取り上げたAIG FPの幹部社員の意見からも見てとれる通り、実際ウォールストリートで働く人の多くは、今回の金融危機に対する加害者意識と言うよりは、むしろ被害者意識を持っているように思います。(ちなみに同氏は、業界環境を考えると、仕事があるだけ幸せだと思うべきであったと個人的には思います。アメリカは契約社会ですし基本給が1ドルだったそうなので、文句が言いたくなるのも分かりますが。)
業界人に被害者意識がある第一の理由は、これはクレジットデリバティブを扱っている友人が言っていたことですが、自分たちはマクロや規制環境によって生まれた市場のニーズに応るべく一生懸命働いていたただけであり、違法行為をしていたわけでも賄賂を受け取っていたわけでもない、というものです。結果的に起こった金融危機に責任は感じるが、まさかそんな事になるとは思っておらず、他社との熾烈な競争を強いられる中で、一社員としてどうしようもなかったと言うことなのかもしれません。
しかし起こしてしまった事に対しては、責任を取るべきではないかとの批判があるかと思いますが、これはEconomistでも若干述べられていた通り、既にウォールストリートで働いていた人の多くが、過去の報酬の多くを失ってしまうような大きな金銭的ダメージを受けています。
上でGoldman Sachsの給料について若干触れましたが、投資銀行では、若手社員を除くプロフェッショナル社員のボーナスの多くが、「疑似株」の形で「繰延べ賞与」として支払われます。要するに、過去に得たボーナスの実際の受取額が将来の株価次第ということであり、今回のように株価が暴落したり、企業が破綻したりしてしまうと、その価値は文字通り10分の1以下になってしまいます。つまり「自分と関係ない部署が引き起こした金融危機」によって何年分もの賞与が一瞬に消え去ったと感じる人が、相当数いるのではと思います。
「それでも高額の基本給をもらっているんだから良いだろう」と言う批判については、多くの人がMBAの学費を払うための大きな学生ローンを抱えている上、ニューヨークやロンドンの税金や生活費は極めて高く、景気悪化時のウォールストリートのリストラや賃金カットは、尋常な勢いではありません。(2008年度のボーナスは、軒並み3割から10割カットされたようです。)でも貯まったボーナスがあるからと思っていたら、それが一瞬で失われたとなると、精神的な打撃が大きいことは想像に難くないと思います。
このようにウォールストリートでは、そもそも自分の業務が金融破綻に繋がると認識していた人は極めて少ない上、巨額の金銭的被害や会社都合による突然のリストラによって職を失っている人が、一般に思われている以上に多数存在します。これはかなりの上層部にも共通するところだと思われるので、そのようなことが、業界人がむしろ「被害者意識」を持っている理由なのかもしれません。
(最近NYでは、リストラ通知(=ピンクスリップ)を受け取った人向けに職を斡旋する「ピンクスリップパーティ」という催しが、頻繁に行われています。リストラの多くは単に会社都合であり、本人達の能力とは無関係であることが多いことから、そこは採用側の企業にとって、まさに優秀な人材のプールとなっています。
先日Bloombergの記事でも紹介されていましたが、東京でも近日「日本初のピンクスリップパーティ」が開催されるようです。主催の南氏は昔からの友人であり、またご関心の方がいらっしゃるかもしれませんので、またご紹介したいと思います。)
ウォールストリートはなぜ「暴走」したか
以上、業界に対する給与や態度についての批判について色々と見て来ましたが、やはり全ての批判の根幹にあるのは、ウォールストリートの「有用性」に対する疑問である気がします。最初にも書きましたが、金融業界は経済活動をサポートするからこそ存在意義があるのであって、そのセクター自体が金儲けに走った結果、経済に害になるのであれば、そもそもウォールストリートなんて不要ではないか、という事になると思います。
その批判が的を得ているかどうかを考えるには、ウォールストリート、つまり「証券業界」が、どのようにして発展したのかについて、見てみると良い気がします。
まじめに書いていると長くなってしまうので、批判覚悟で極めて単純化して書いてしまうと、20世紀の中頃から進んだ間接金融から直接金融へのシフトと、70年代頃から拡大した年金運用(長期資金運用)の必要性が、ウォールストリートの発展に大きく関連していたと言える気がします。
金融機能そのものはギリシャ時代より存在しているそうですが、経済主体間での資金の融通をより効率的に、かつ低コストで行えないかと考える中で、一部の金融資本に全てを依存する「間接金融」システムではなく、広く一般の投資家から資金を調達できるようにする「直接金融」システムが、発展していったのだと思います。
直接金融とは、銀行を間接的に経由してお金を調達するのではなく、株式や債券といった証券を直接投資家に向けて発行して、資金の融通をしようというものです。それにより、その証券売買の機能を仲介する証券会社(投資銀行)、つまりウォールストリートが、銀行よりも重要な役割を果たす存在として、発展して来たわけです。
このシステムが機能するためには、資金の出し手である「投資家」層も、育っていなければいけません。その投資家は誰なのかという話になりますが、そこで広義の「年金運用」という話が出てくるのではと思います。
これも単純に書いてしまいますが、人々は将来のために積み立てている引退後の資金を、インフレ率以上で運用する必要があると考えられています。その資金プールは巨大なもので、かつ何十年といった期間に渡って運用される必要があります。その投資先として株式や債券といった金融商品へのニーズが強まり、それがまた、直接金融の発展を促したと言えるのではと思います。
加えて、過去20年に渡ってアメリカの消費を支え、世界中の輸出国経済を支えた、アメリカの住宅金融と消費者金融の発展も、言うまでもなく証券業界の拡大に寄与したと思います。これには一般に「証券化」として知られる金融技術が大きく関連していますが、この話は方々で取り上げられているので、今回は割愛したいと思います。
このような大きな流れの中で発展したウォールストリートが、なぜ本来の金融機能よりも、自らの利益追求に走ってしまったのかという話ですが、これには大きく3つの要素が関連していたのではと思います。その3つとは、「IT技術の発展」、「経済のグローバル化」、そして「規制緩和と低金利」です。
バブルという事象自体は何世紀も前から度々発生しており、何ら新しい事象でないことは、名著「ウォール街のランダム・ウォーカー」などでも詳細に解説されています。よってウォールストリートの暴走がバブルを生んだという批判は、当たらない気がします。
しかし90年代に入り、冷戦が集結して、アメリカの頭脳が金融セクターとITセクターに流れ込んだ結果、デリバティブに代表される金融技術の発展は、飛躍的に加速したと言えると思います。
金融取引の効率性を飛躍的に改善させるデリバティブは、Warren Buffett氏が指摘していた通り、使い方を間違えると大変な問題を引き起こす「大量破壊兵器(と言うか原子力)」のようなものだと言えると思います。そのような技術が、IT技術に支えられて高度に発展した世界では、金融機関が取り得るリスクとリターンの額は、極めて大きなものになり得ます。
また90年代は、経済が急速に国際化した(米英がそちらの方向に誘導した)時代でもあったと思います。これによってお金の流れは世界中に広がり、資金調達先とリスク分散先が一層拡大して、ウォールストリートは大きなメリットを受けました。
それに加えて、クリントン政権、ブッシュ政権と、大幅な規制緩和の流れが続き、金融セクターの肥大化を大いに後押ししたと言えると思います。(銀行と証券の分離を定めたグラススティーガル法も、クリントン政権時に廃止されています。)
インフレ無き経済成長を実現するという、中央銀行のゴールを実現したと思われていたグリーンスパン氏率いるFRBによる低金利も、証券化などの金融技術の発展と相俟って、レバレッジ(=リスク量)の一層の拡大に寄与してしまった気がします。
ウォールストリートはやはり「不要」か?
ではウォールストリート(=直接金融)は不要なのか、プラス面よりもマイナス面の方が大きいのか、という話になりますが、これはやはり、極論過ぎると思います。
効率的な資金調達は経済発展の鍵であり、その効率性を担保するためには、自由市場のメカニズムは欠かせないと、個人的には思います。その中で中心的役割を果たすのは、やはり投資銀行(今では全て金融持ち株会社になっていますが)ではないかと思います。また、年金などの長期資金の運用にも、特別な運用技術が必要になりますので、Economistで紹介されていたようなファンドマネージャー不要論は、全く的外れであると思います。
プライベートセクター(市場経済)機能は信用できないので、全て政府が面倒を見ればいいじゃないかとは、フランスや日本などの社会主義的な国において、よくある議論であるようです。私は、別に世界中がアメリカのようなシステムを採用する必要は無いと思っているので、どのようなシステムが良いかは各国の国民が選択すべきだと思います。ただ、政府主導となると、政官癒着や「消えた年金」のような効率性と信頼性の問題が発生し、別の不平等感が生まれてしまうかもしれません。
また、金融工学の賜物であるデリバティブは、極論をすれば、自動車や原子力発電のように、危険でもあるが有用でもある文明の利器である気がします、そういった利器を人類が捨てられないように、デリバティブを完全に規制することも困難であり、また経済にとっても有益ではない気がします。(デリバティブの中で、CDSといった特定の商品に有用性があるかについては、専門外ですのでコメントを控えたいと思います。)
つまるところ、ウォールストリートは経済にとって大いに有用となり「得る」存在であり、と同時に、管理を誤れば、大変有害となり得る存在なのだと思います。だからこそ、その機能を早急に回復させ、と同時にシステミックリスクが再発する事態を避ける方法を考え出すことこそが、もっとも重要な課題となるべきではと思います。
それが正に今、世界中で話し合われているところでもありますが、大手金融機関に対する、新しい規制の枠組みなのだと思います。ウォールストリートの暴走の一端を担った規制当局が信用出来るのか、という議論については、そもそも政府がそこまで信用できなければ、市場経済を放棄して「大きな政府」を志向することは、より大きなリスクである気がします。
結局、市場も政府も完璧にはなり得ない(完璧な経済システムなど存在しない)との現実的前提に立った上で、その中での最適解を探すことが、重要である気がします。そのような新しい枠組み作りが単なる魔女狩りで終わってしまったり、また聞こえだけよく全く無益な(給与キャップや空売り規制のような)規制の乱立にならないことを、期待しながら見ていたいと思います。
4月4日のEconomistの表紙は、フランス革命の民衆を導く自由の女神が「金持ちを倒せ」というプラカードを持っているものでした。これはロンドンで開催されたG20金融サミット時に発生したデモにより、銀行に対する投石が起こったことなどを反映しての事かと思いますが、公的資金で救済された金融機関が高額のボーナス支払いをした問題は、大きな波紋を広げているようです。
このEconomistの記事「The rich under attack(金持ちへ非難集中)」の内容は、「金持ちが勝ち組・負け組がはっきり分かれる社会を作り出した」、「バンカーやファンドマネージャーは何の役にも立っていない」という批判に関する話です。簡単にまとめてしまうと、ウォールストリートは人の金でギャンブルをしておいて、失敗した時には税金と利下げげ救われると言うのは馬鹿げている、何も創り出さない金融が企業収益の4割もを生み出すまでになり、「大きすぎて潰せない」立場を利用して、「金持ちの為の社会主義」を作り出した、といった内容です。
Economistは市場寄りの雑誌なので、そのような批判に対し、投資銀行の一般従業員も大きな金銭的損失を被っているし、また自由な金融市場は企業の資金調達を助けて、経済発展に大きく寄与した、それを潰すことは経済活動全体にマイナスである、という反論を書いていました。ただ、破綻のツケを納税者に払わせるのであれば意味がない、バブルや不公平さが拡大した後には必ず構造改革が訪れる、と市況経済過熱化の問題を認めた上で、無益に高所得層に対する増税をしても、景気の回復が遅れて「叩いている側に火の粉が降りかかる」と結論付けていました。
このブログも「ウォールストリート日記」ですので、アメリカの金融業界では何が起こっており、またそこにいる人達が何を考えているかといった、ウォールストリート側からの見方について主に取り上げています。ただ内容については、出来る限り物事の両面について触れるように心がけているつもりです。そんなわけで、かつてPE業界の過熱感についても何度か書いたことがあったと思いますが、最近はウォールストリート批判が巻き起こっています。そんなわけで今回は、そのような批判に対して業界の人達がどう考えているのかについて、少々書いてみたいと思います。
ウォールストリート批判の根幹
ウォールストリートに対する批判の根幹は、一言で言ってしまうと、人間の欲望はとりとめがないので、金融業界は必ずまたリスクテイクとバブルに走る。よって金融セクターを経済の成長ドライバーとするということ自体を止めなければ、バブルの再発は防げず、健全な経済社会は実現しない、というものではと思います。
経済に血液(お金)を行き渡させる役割を果たしている金融機関が「カジノ化」してしまうと、プラス(資金供給)よりもマイナス効果(システム破綻)の方が大きくなってしまいます。しかし参加者にいくら「謙虚になれ」と言ってみても、資本主義経済である以上、誰もが一儲けしたいと思っています。そうなると、ちょっとした規制などで危険行為を抑えることは困難であり、だから根本的に業界を改革・解体するしかない、ということなのではと思います。
この議論は、クレジットクランチが発生している今日において、特に「本来の金融機能が果たされず、むしろ害になる」という部分において、説得力があると思います。これは業界寄りのEconomistですら認めている所であり、日本もバブル後のある時期に、銀行の機能不全→貸し渋り・貸し剥がしという形で、同様の経験をしたことは、記憶に新しいところです。(日本の場合は銀行への不信から、まずは「借り渋り」が発生したと考えられますが。)
しかし業界批判に過熱感がある最近は、金融システムを健全な状態に回復させ、その状態に保つにはどうすればよいかという話よりも、ともかくウォールストリートの失態を批判し、懲罰的規制を制定しようとするものが多い気がします。そのように批判が加熱してきた理由の中心は、業界の給与水準が高すぎるように見え、またウォールストリートが反省していないように見えるという事なのではと思います。
給与水準批判
そもそも感情論になりやすい給与水準に関する議論は、Merrill LynchとAIGの社員に対する高額賞与支払いの報道によって、一気に爆発したと言える気がします。公的資金=人々の税金で救済された企業が、破格のボーナスを社員に支払ったとなれば、納税者が怒り心頭するのは至極当然と言える気がします。
一般的に金融セクターの給料は、社会システムによってレベルの違いはあるにせよ、世界のどこでも、昔から高いものであったと思います。日本でも、いわゆる大卒新卒社員の給料平均のトップは、銀行・証券とマスメディアであったと記憶しています。その理由は単純に、金貸し業が収益力の高い事業であるからなのかもしれません。
しかし最近の欧米の投資銀行の高い収益率が、単に過大なレバレッジと無謀なリスクテイクによって実現していたとすると、「儲かっているんだから高い給料を払っても良い」という議論は、正当性を失う気がします。
とは言え、政府が金融セクターにつぎ込んだお金は「ギフト」ではなく、いずれ納税者に返済されるべき資金です。そのことを考えると、人材流出が進むような給与規制は、一時的な「見せしめ」以上に何の効果もなく、どなたかのコメントにあったような「業界からの人材の流出→業界全滅」が仮に実現してしまえば、国民が払うツケは巨額になってしまうがします。
給与規制など導入しなくとも、今後投資銀行が、規制強化によってレバレッジを抑えた状態で、今までのような利益を上げられなければ、業界の平均給与は、それに応じて引き下げられていくと思います。もしくは、一部の優秀な社員の給与水準を維持するために、永続的な人員カットや海外市場からの撤退が発生するかもしれません。
ウォールストリートの給与水準が高い他の理由として、現代金融の仕事が特殊なスキルを要求される「専門職」となっている、という議論もよく聞かれます。そような仕事を担う人材の数は、医者や弁護士と同様に限られているため、労働市場の需給が逼迫するに従って、給料の絶対水準が高くなるという話で、コメントでもご指摘頂いた通りです。この議論は合理性に適っているように思いますし、今後もサービスに対するニーズがある限り、特殊技能者の報酬は高止まりするのではと思います。
それにしても、絶対水準はやはり異常ではないかという批判については、金融機関の取っていたレバレッジが過大であったことが明らかになった今となっては、業界側も否定できないところなのではという気がします。絶対額が高いことに関する批判について、敢えてよく聞かれる反論を書くとすると、以下のようになるかと思います。
まず数年前に、「Goldman Sachsの平均給与は7000万円」とタブロイド紙が報道した時にも書きましたが、大きなボーナスプールの多くは、一握りの経営幹部に対して支払われています。これは金融セクターに限った話ではなく、アメリカの経営者の給料は破格です。(株式による支払いで、現金ではないのですが、その話はまた書きます。)よって投資銀行の給料が高いと言っても、一般社員の平均がこのような巨額であるというのは、誤解だと言える気がします。
次に、精神的、身体的ストレスの多いウォールストリートの専門職においては、10年以上に渡って高給を取り続ける人は、あまり多くないと言える気がします。実際、「自分は命を削って生涯賃金の前払いを受けているのだ」と真顔で主張する人もいますし、業界を去る同僚が英雄視されるといったカルチャーが投資銀行の一部に存在する話を、以前に書いたことがあると思います。
アメリカの人気スポーツであるフットボールの選手生命は、その過酷なプレー環境から、平均で4年程度と言われます。そのことが、彼らを巨額の複数年契約に向けて突っ走らせるわけですが、ウォールストリートでのキャリアにも若干似たような所があり、そうなると業界の単年度の給与水準はともかく、生涯賃金は、実はそこまで破格ではないのかもしれません。
もちろん、そもそもそんなに短期で稼がなければいけないような競争環境そのものがおかしい、という議論もあるでしょうし、また、給与が正当化できるかどうかは、究極的には仕事(業界)の有用性次第だと思います。そもそもウォールストリートは不要な存在なのかについては、最後に書きたいと思います。
業界人は反省しない?
給与への批判と同様に多い指摘に、「業界人は謙虚に反省せよ」というものがあります。前回取り上げたAIG FPの幹部社員の意見からも見てとれる通り、実際ウォールストリートで働く人の多くは、今回の金融危機に対する加害者意識と言うよりは、むしろ被害者意識を持っているように思います。(ちなみに同氏は、業界環境を考えると、仕事があるだけ幸せだと思うべきであったと個人的には思います。アメリカは契約社会ですし基本給が1ドルだったそうなので、文句が言いたくなるのも分かりますが。)
業界人に被害者意識がある第一の理由は、これはクレジットデリバティブを扱っている友人が言っていたことですが、自分たちはマクロや規制環境によって生まれた市場のニーズに応るべく一生懸命働いていたただけであり、違法行為をしていたわけでも賄賂を受け取っていたわけでもない、というものです。結果的に起こった金融危機に責任は感じるが、まさかそんな事になるとは思っておらず、他社との熾烈な競争を強いられる中で、一社員としてどうしようもなかったと言うことなのかもしれません。
しかし起こしてしまった事に対しては、責任を取るべきではないかとの批判があるかと思いますが、これはEconomistでも若干述べられていた通り、既にウォールストリートで働いていた人の多くが、過去の報酬の多くを失ってしまうような大きな金銭的ダメージを受けています。
上でGoldman Sachsの給料について若干触れましたが、投資銀行では、若手社員を除くプロフェッショナル社員のボーナスの多くが、「疑似株」の形で「繰延べ賞与」として支払われます。要するに、過去に得たボーナスの実際の受取額が将来の株価次第ということであり、今回のように株価が暴落したり、企業が破綻したりしてしまうと、その価値は文字通り10分の1以下になってしまいます。つまり「自分と関係ない部署が引き起こした金融危機」によって何年分もの賞与が一瞬に消え去ったと感じる人が、相当数いるのではと思います。
このようにウォールストリートでは、そもそも自分の業務が金融破綻に繋がると認識していた人は極めて少ない上、巨額の金銭的被害や会社都合による突然のリストラによって職を失っている人が、一般に思われている以上に多数存在します。これはかなりの上層部にも共通するところだと思われるので、そのようなことが、業界人がむしろ「被害者意識」を持っている理由なのかもしれません。
(最近NYでは、リストラ通知(=ピンクスリップ)を受け取った人向けに職を斡旋する「ピンクスリップパーティ」という催しが、頻繁に行われています。リストラの多くは単に会社都合であり、本人達の能力とは無関係であることが多いことから、そこは採用側の企業にとって、まさに優秀な人材のプールとなっています。
先日Bloombergの記事でも紹介されていましたが、東京でも近日「日本初のピンクスリップパーティ」が開催されるようです。主催の南氏は昔からの友人であり、またご関心の方がいらっしゃるかもしれませんので、またご紹介したいと思います。)
ウォールストリートはなぜ「暴走」したか
以上、業界に対する給与や態度についての批判について色々と見て来ましたが、やはり全ての批判の根幹にあるのは、ウォールストリートの「有用性」に対する疑問である気がします。最初にも書きましたが、金融業界は経済活動をサポートするからこそ存在意義があるのであって、そのセクター自体が金儲けに走った結果、経済に害になるのであれば、そもそもウォールストリートなんて不要ではないか、という事になると思います。
その批判が的を得ているかどうかを考えるには、ウォールストリート、つまり「証券業界」が、どのようにして発展したのかについて、見てみると良い気がします。
まじめに書いていると長くなってしまうので、批判覚悟で極めて単純化して書いてしまうと、20世紀の中頃から進んだ間接金融から直接金融へのシフトと、70年代頃から拡大した年金運用(長期資金運用)の必要性が、ウォールストリートの発展に大きく関連していたと言える気がします。
金融機能そのものはギリシャ時代より存在しているそうですが、経済主体間での資金の融通をより効率的に、かつ低コストで行えないかと考える中で、一部の金融資本に全てを依存する「間接金融」システムではなく、広く一般の投資家から資金を調達できるようにする「直接金融」システムが、発展していったのだと思います。
直接金融とは、銀行を間接的に経由してお金を調達するのではなく、株式や債券といった証券を直接投資家に向けて発行して、資金の融通をしようというものです。それにより、その証券売買の機能を仲介する証券会社(投資銀行)、つまりウォールストリートが、銀行よりも重要な役割を果たす存在として、発展して来たわけです。
このシステムが機能するためには、資金の出し手である「投資家」層も、育っていなければいけません。その投資家は誰なのかという話になりますが、そこで広義の「年金運用」という話が出てくるのではと思います。
これも単純に書いてしまいますが、人々は将来のために積み立てている引退後の資金を、インフレ率以上で運用する必要があると考えられています。その資金プールは巨大なもので、かつ何十年といった期間に渡って運用される必要があります。その投資先として株式や債券といった金融商品へのニーズが強まり、それがまた、直接金融の発展を促したと言えるのではと思います。
加えて、過去20年に渡ってアメリカの消費を支え、世界中の輸出国経済を支えた、アメリカの住宅金融と消費者金融の発展も、言うまでもなく証券業界の拡大に寄与したと思います。これには一般に「証券化」として知られる金融技術が大きく関連していますが、この話は方々で取り上げられているので、今回は割愛したいと思います。
このような大きな流れの中で発展したウォールストリートが、なぜ本来の金融機能よりも、自らの利益追求に走ってしまったのかという話ですが、これには大きく3つの要素が関連していたのではと思います。その3つとは、「IT技術の発展」、「経済のグローバル化」、そして「規制緩和と低金利」です。
バブルという事象自体は何世紀も前から度々発生しており、何ら新しい事象でないことは、名著「ウォール街のランダム・ウォーカー」などでも詳細に解説されています。よってウォールストリートの暴走がバブルを生んだという批判は、当たらない気がします。
しかし90年代に入り、冷戦が集結して、アメリカの頭脳が金融セクターとITセクターに流れ込んだ結果、デリバティブに代表される金融技術の発展は、飛躍的に加速したと言えると思います。
金融取引の効率性を飛躍的に改善させるデリバティブは、Warren Buffett氏が指摘していた通り、使い方を間違えると大変な問題を引き起こす「大量破壊兵器(と言うか原子力)」のようなものだと言えると思います。そのような技術が、IT技術に支えられて高度に発展した世界では、金融機関が取り得るリスクとリターンの額は、極めて大きなものになり得ます。
また90年代は、経済が急速に国際化した(米英がそちらの方向に誘導した)時代でもあったと思います。これによってお金の流れは世界中に広がり、資金調達先とリスク分散先が一層拡大して、ウォールストリートは大きなメリットを受けました。
それに加えて、クリントン政権、ブッシュ政権と、大幅な規制緩和の流れが続き、金融セクターの肥大化を大いに後押ししたと言えると思います。(銀行と証券の分離を定めたグラススティーガル法も、クリントン政権時に廃止されています。)
インフレ無き経済成長を実現するという、中央銀行のゴールを実現したと思われていたグリーンスパン氏率いるFRBによる低金利も、証券化などの金融技術の発展と相俟って、レバレッジ(=リスク量)の一層の拡大に寄与してしまった気がします。
ウォールストリートはやはり「不要」か?
ではウォールストリート(=直接金融)は不要なのか、プラス面よりもマイナス面の方が大きいのか、という話になりますが、これはやはり、極論過ぎると思います。
効率的な資金調達は経済発展の鍵であり、その効率性を担保するためには、自由市場のメカニズムは欠かせないと、個人的には思います。その中で中心的役割を果たすのは、やはり投資銀行(今では全て金融持ち株会社になっていますが)ではないかと思います。また、年金などの長期資金の運用にも、特別な運用技術が必要になりますので、Economistで紹介されていたようなファンドマネージャー不要論は、全く的外れであると思います。
プライベートセクター(市場経済)機能は信用できないので、全て政府が面倒を見ればいいじゃないかとは、フランスや日本などの社会主義的な国において、よくある議論であるようです。私は、別に世界中がアメリカのようなシステムを採用する必要は無いと思っているので、どのようなシステムが良いかは各国の国民が選択すべきだと思います。ただ、政府主導となると、政官癒着や「消えた年金」のような効率性と信頼性の問題が発生し、別の不平等感が生まれてしまうかもしれません。
また、金融工学の賜物であるデリバティブは、極論をすれば、自動車や原子力発電のように、危険でもあるが有用でもある文明の利器である気がします、そういった利器を人類が捨てられないように、デリバティブを完全に規制することも困難であり、また経済にとっても有益ではない気がします。(デリバティブの中で、CDSといった特定の商品に有用性があるかについては、専門外ですのでコメントを控えたいと思います。)
つまるところ、ウォールストリートは経済にとって大いに有用となり「得る」存在であり、と同時に、管理を誤れば、大変有害となり得る存在なのだと思います。だからこそ、その機能を早急に回復させ、と同時にシステミックリスクが再発する事態を避ける方法を考え出すことこそが、もっとも重要な課題となるべきではと思います。
それが正に今、世界中で話し合われているところでもありますが、大手金融機関に対する、新しい規制の枠組みなのだと思います。ウォールストリートの暴走の一端を担った規制当局が信用出来るのか、という議論については、そもそも政府がそこまで信用できなければ、市場経済を放棄して「大きな政府」を志向することは、より大きなリスクである気がします。
結局、市場も政府も完璧にはなり得ない(完璧な経済システムなど存在しない)との現実的前提に立った上で、その中での最適解を探すことが、重要である気がします。そのような新しい枠組み作りが単なる魔女狩りで終わってしまったり、また聞こえだけよく全く無益な(給与キャップや空売り規制のような)規制の乱立にならないことを、期待しながら見ていたいと思います。
by harry_g
| 2009-04-13 02:33
| 投資銀行