2007年 01月 06日
高額報酬の「宇宙人」? |
ウォールストリートの記録的業績を受けた高額報酬の話題は、アメリカだけでなくロンドンの金融街、いわゆる「シティ」でも沸き起こっているようです。
先日の金融メディアBloombergのコラム「London Starts New Year's Debate on Bank Bonuses」によると、欧州の金融の中心地であるロンドンでも、バンカーやトレーダーが手にしたボーナスを何に使うのか、またそのような報酬が社会的に正当化されるのかについて、様々な議論がなされているそうです。
その記事で取り上げられていたところによると、とある大司教はそのような高額報酬を「屈辱的」で「不公平」だと言い、また労働組合組織の書記長は、一般社会とかけ離れた金持ち族の増大には道徳面での問題もある、と主張しているそうです。
Bloombergも「金融業界が徐々にほかの社会と異なる惑星に移り住み始めているようだ」と述べて、ゴールドマンのCEOが受け取った$53.4mm(約64億円)のボーナスについて言及していました。
・・・実はこの報酬格差の問題は金融業界に限った話ではなく、アメリカでは、先日解雇されたホームセンター最大手Home DepotのCEOが、在任中の冴えない株価パフォーマンスにもかかわらず巨額の給料を手にしていたこと、更にクビになっても250億円近い退職金を受け取ったとされることが、大変な物議を醸しています。
経営陣の高額報酬を正当化する人たちは、経済のグローバル化がCEOの仕事を極めて困難なものにしており、結果的な人材不足が高額報酬につながっていると主張し、またCNBCのインタビューに答えていた大手ヘッジファンドOmega AdvisorsのLeon Cooperman氏は、Home DepotのCEOは単に株価が割高だった時期に就任してしまっただけで、業績面では十分によい仕事をしたと言っていました。
ただ株主利益の代表であるはずの取締役会が、マネジメントの報酬について真面目に考えていないと主張する向きは多いようで、下院金融サービス委員会のフランク委員長(民主党)などは、十分な株主リターンを生み出せないCEOが破格の額の報酬を受け取るのはどう考えてもおかしい、株主が経営陣の報酬決定に関与できるようなメカニズムが必要だ、などと主張しているようです。
報酬の議論はどうしても感情論にもなりやすく、簡単には善悪の判断が出なそうな感じがしますが、アメリカが企業を「株主」→「取締役会」の管理下におき、その取締役会が選任した「執行役員(CEO、CFOなど)」が株主利益の代表として働いているという制度を前提に考えると、確かに株主利益を生み出せなかった経営陣が批判されるのは、自然な流れかもしれません。
特にアメリカでは、株式投資家の9割以上が運用を専業としている機関投資家(年金基金、保険会社など)だと言われており、これらの投資家が国民の重要な財産を運用していることを考えると、株主利益に応えられないとの批判の重みは、更に増す気がします。
(日本では、何で見知らぬ株主のために企業を経営しなければいけないのか、との議論が多いようですが、アメリカの株主重視の風潮は機関投資家の存在感が極めて大きい環境の中で根付いて来たと言えるかもしれません。)
ともかく批判的な論調の多いビジネス界の報酬の話題ですが、少々気になるのは、ニュースで取り上げられるような大成功を収めた人たちは極少数であり、その裏には沢山の敗者もいることや、勝者は努力と運によってその地位に上り詰めたであろうことが、軽んじられる傾向があるように感じることです。
例えば先日のFTか何かの記事で、成功しているヘッジファンドのマネージャーは投資銀行のCEOなどを軽く超える報酬を受け取っている、とありましたが、それは何万社とあるヘッジファンドのトップ中のトップの話であり、その陰では何百社というファンドが苦労したり破綻したりしているわけです。
また成功したファンドマネージャーは、投資家に大きな利益をもたらし、その結果多くの人が利益を得たと言う事実も、まず触れられることはない気がします。
「ファンドという仕組みをマネーマシンのように利用して私財を肥やしている」と批判するのは簡単ですが、そういう人たちの実績や、彼ら・彼女らがその地位に至るまでに、ウォールストリートで、更にはそこに至るまでの大学や大学院でどのような努力をして来たかについて全く考慮されないのは、少々アンフェアと言えるかもしれません。
これは投資銀行の経営陣についても言えることで、GoldmanやMorgan Stanleyといったトップ投資銀行の頂点に立つ人間が、どれだけの実績を上げて株主に利益をもたらしたか、またそれまでにどれだけの厳しい競争を勝ち抜いて来たかについては、もっと語られても良い気がします。
(中にはGoldmanがこれだけの実績を上げて株価も大幅に上昇したのだから、同社の株主はCEOが100億円受け取ろうが文句はないだろう、という記事も見かけたのは事実です。)
ビジネス界で成功した人々が報酬に関して批判に晒されやすいのは、エンタテインメントやスポーツと比べると、ビジネスは誰の手にも届きそうな感じがするからだと指摘する人もいます。
Bloombergの記事でも触れられていましたが、サッカー選手やポップ歌手、アメリカで言えばハリウッドスターや野球選手などが受け取っている報酬も、一般と比較すると破格なものです。それでもこういう人々は「スター」として、一般人とは別とみなされるため、高額報酬がそれほど批判の対象になることはない気がします。
そう考えると投資銀行や大手企業のCEOや成功したファンドのマネージャーなども、ビジネス界の「スター」であるわけで、一般の人との報酬差が開いているからといって単純に批判に晒されるのはおかしいかもしれません。これは医者や弁護士といった専門職の報酬が一般事務員より高いのと、同じような議論な気がします。
ちなみにBloombergでは、ロンドンのシティは世界で最も開かれた雇用市場であるとし、聡明かつ懸命に働く人間が比較的大きな報酬を得ることが可能だとしても、その制度を不道徳と断定することは難しい、とも述べていました。
またシティでの巨額報酬の支払いは、誰に強要されたものでもなく、世界の資本や人材を呼び込む方針の結果に発生したものであること、また、一部とは言え大きな所得を得ることで、政府も大きな税収のメリットを受けていることなども指摘していました。
ただコラムの最後に、「シティの巨額ボーナスを屈辱的とみなすのは間違いではあるが、金融界は他の世界とどう付き合っていくか考える必要がある」と指摘されていたのは、その通りかもしれません。
世の中にはお金が儲かる仕事とそうでもない仕事があるのは事実ですが、どちらの方が偉いと言うことは一切なく、あくまで個人的嗜好とリスク許容度の問題であることは、間違いない気がします。
また、いずれかの時点でこの高額報酬が調整される可能性についてもBloombergは指摘していましたが、常に波のあるウォールストリート(シティ)において、これはもう確実と言える気がします。来年の今頃には、ハイリスクな仕事であるからこそ良い年にハイリターンが得られただけだった、と今を振り返っているかもしれません。
先日の金融メディアBloombergのコラム「London Starts New Year's Debate on Bank Bonuses」によると、欧州の金融の中心地であるロンドンでも、バンカーやトレーダーが手にしたボーナスを何に使うのか、またそのような報酬が社会的に正当化されるのかについて、様々な議論がなされているそうです。
その記事で取り上げられていたところによると、とある大司教はそのような高額報酬を「屈辱的」で「不公平」だと言い、また労働組合組織の書記長は、一般社会とかけ離れた金持ち族の増大には道徳面での問題もある、と主張しているそうです。
Bloombergも「金融業界が徐々にほかの社会と異なる惑星に移り住み始めているようだ」と述べて、ゴールドマンのCEOが受け取った$53.4mm(約64億円)のボーナスについて言及していました。
・・・実はこの報酬格差の問題は金融業界に限った話ではなく、アメリカでは、先日解雇されたホームセンター最大手Home DepotのCEOが、在任中の冴えない株価パフォーマンスにもかかわらず巨額の給料を手にしていたこと、更にクビになっても250億円近い退職金を受け取ったとされることが、大変な物議を醸しています。
経営陣の高額報酬を正当化する人たちは、経済のグローバル化がCEOの仕事を極めて困難なものにしており、結果的な人材不足が高額報酬につながっていると主張し、またCNBCのインタビューに答えていた大手ヘッジファンドOmega AdvisorsのLeon Cooperman氏は、Home DepotのCEOは単に株価が割高だった時期に就任してしまっただけで、業績面では十分によい仕事をしたと言っていました。
ただ株主利益の代表であるはずの取締役会が、マネジメントの報酬について真面目に考えていないと主張する向きは多いようで、下院金融サービス委員会のフランク委員長(民主党)などは、十分な株主リターンを生み出せないCEOが破格の額の報酬を受け取るのはどう考えてもおかしい、株主が経営陣の報酬決定に関与できるようなメカニズムが必要だ、などと主張しているようです。
報酬の議論はどうしても感情論にもなりやすく、簡単には善悪の判断が出なそうな感じがしますが、アメリカが企業を「株主」→「取締役会」の管理下におき、その取締役会が選任した「執行役員(CEO、CFOなど)」が株主利益の代表として働いているという制度を前提に考えると、確かに株主利益を生み出せなかった経営陣が批判されるのは、自然な流れかもしれません。
特にアメリカでは、株式投資家の9割以上が運用を専業としている機関投資家(年金基金、保険会社など)だと言われており、これらの投資家が国民の重要な財産を運用していることを考えると、株主利益に応えられないとの批判の重みは、更に増す気がします。
(日本では、何で見知らぬ株主のために企業を経営しなければいけないのか、との議論が多いようですが、アメリカの株主重視の風潮は機関投資家の存在感が極めて大きい環境の中で根付いて来たと言えるかもしれません。)
ともかく批判的な論調の多いビジネス界の報酬の話題ですが、少々気になるのは、ニュースで取り上げられるような大成功を収めた人たちは極少数であり、その裏には沢山の敗者もいることや、勝者は努力と運によってその地位に上り詰めたであろうことが、軽んじられる傾向があるように感じることです。
例えば先日のFTか何かの記事で、成功しているヘッジファンドのマネージャーは投資銀行のCEOなどを軽く超える報酬を受け取っている、とありましたが、それは何万社とあるヘッジファンドのトップ中のトップの話であり、その陰では何百社というファンドが苦労したり破綻したりしているわけです。
また成功したファンドマネージャーは、投資家に大きな利益をもたらし、その結果多くの人が利益を得たと言う事実も、まず触れられることはない気がします。
「ファンドという仕組みをマネーマシンのように利用して私財を肥やしている」と批判するのは簡単ですが、そういう人たちの実績や、彼ら・彼女らがその地位に至るまでに、ウォールストリートで、更にはそこに至るまでの大学や大学院でどのような努力をして来たかについて全く考慮されないのは、少々アンフェアと言えるかもしれません。
これは投資銀行の経営陣についても言えることで、GoldmanやMorgan Stanleyといったトップ投資銀行の頂点に立つ人間が、どれだけの実績を上げて株主に利益をもたらしたか、またそれまでにどれだけの厳しい競争を勝ち抜いて来たかについては、もっと語られても良い気がします。
(中にはGoldmanがこれだけの実績を上げて株価も大幅に上昇したのだから、同社の株主はCEOが100億円受け取ろうが文句はないだろう、という記事も見かけたのは事実です。)
ビジネス界で成功した人々が報酬に関して批判に晒されやすいのは、エンタテインメントやスポーツと比べると、ビジネスは誰の手にも届きそうな感じがするからだと指摘する人もいます。
Bloombergの記事でも触れられていましたが、サッカー選手やポップ歌手、アメリカで言えばハリウッドスターや野球選手などが受け取っている報酬も、一般と比較すると破格なものです。それでもこういう人々は「スター」として、一般人とは別とみなされるため、高額報酬がそれほど批判の対象になることはない気がします。
そう考えると投資銀行や大手企業のCEOや成功したファンドのマネージャーなども、ビジネス界の「スター」であるわけで、一般の人との報酬差が開いているからといって単純に批判に晒されるのはおかしいかもしれません。これは医者や弁護士といった専門職の報酬が一般事務員より高いのと、同じような議論な気がします。
ちなみにBloombergでは、ロンドンのシティは世界で最も開かれた雇用市場であるとし、聡明かつ懸命に働く人間が比較的大きな報酬を得ることが可能だとしても、その制度を不道徳と断定することは難しい、とも述べていました。
またシティでの巨額報酬の支払いは、誰に強要されたものでもなく、世界の資本や人材を呼び込む方針の結果に発生したものであること、また、一部とは言え大きな所得を得ることで、政府も大きな税収のメリットを受けていることなども指摘していました。
ただコラムの最後に、「シティの巨額ボーナスを屈辱的とみなすのは間違いではあるが、金融界は他の世界とどう付き合っていくか考える必要がある」と指摘されていたのは、その通りかもしれません。
世の中にはお金が儲かる仕事とそうでもない仕事があるのは事実ですが、どちらの方が偉いと言うことは一切なく、あくまで個人的嗜好とリスク許容度の問題であることは、間違いない気がします。
また、いずれかの時点でこの高額報酬が調整される可能性についてもBloombergは指摘していましたが、常に波のあるウォールストリート(シティ)において、これはもう確実と言える気がします。来年の今頃には、ハイリスクな仕事であるからこそ良い年にハイリターンが得られただけだった、と今を振り返っているかもしれません。
by harry_g
| 2007-01-06 10:36
| キャリア・仕事