2006年 05月 22日
Tiger Managementの盛衰 |
先日のブログで、株式ロングショートのヘッジファンドには「タイガーの子供たち(Tiger Cubs)」と呼ばれるTiger Management出身のマネージャーが運営しているところが多いと言う話を書きました。
Tigerはヘッジファンド業界の「三賢人」と呼ばれるGeorge Soros、Michael Steinhardtと並び称されるJulian Robertsonが1980年から2000年にかけて運営したファンドです。
そこで育った「タイガーカブス」の運営するヘッジファンドは、先日触れた「第一世代」の大手4社に加えて、タイガー崩壊後に同社のNYパークアベニューのオフィスを利用して運営を行っている「第二世代」(Tiger Global、Tiger Asia、Tiger Consumer等)、そしてそれ以外にも数多くの数百億から数千億の規模のファンドが存在しています。
ダニエル・A・ストラックマン著の「魔術師は市場でよみがえる-タイガー・マネジメントの興亡」(東洋経済新報社)によると、現在ヘッジファンド業界の全運用資金の10%超、株式運用の20%超がこのタイガーカブスによって運営されていると考えられるそうで、その影響力の大きさが分かる気がします。
そんな伝説のヘッジファンドTiger Managementがどのような経緯で盛衰し、また同社を率いたJulian Robertsonと言う人物はどういう人だったのかは、大変興味深いところです。そんなことについて、上記の著書を参考にまとめてみたいと思います。
1932年生まれのRobertsonは、Tigerを立ち上げる以前には当時大手証券の一つで現在はUBSに買収されているKidder Peabodyで21年間働いており、その時期にヘッジファンドのコンセプトを開発したAlfred Jonesと知り合ったそうです。元々Forbesの記者だったJonesは、記者活動を通じて市場のタイミングを計ることの難しさを悟り、市場を相手にした売買から決別して銘柄選びに焦点を選ぶことでリターンを上げる「ロングショート」の運用スタイルを生み出した人として知られています。
ただ肝心のどの銘柄を選択すべきかについては、先述の「三賢人」が確実な実績を残すに至り、中でもRobertsonは、企業のファンダメンタルズを重視したバリュー投資(割安株をロングし割高株をショートする手法)によって大きな利益を上げ続けたことで知られています。
このスタイルをうまく言い表すには、「市場アナリストではなく企業アナリストたれ」、「市場は個別企業の集まりに過ぎず、市場という独立の主体は存在しない」といった、史上最強のバリュー投資家として知られるWarren BuffettやRobertsonの言葉が適切かもしれません。バリュー投資の手法は古典的名著「証券投資」を記したBenjamin GrahamとDavid Doddが生み出したと言われていますが、Buffettがコロンビア大でGrahamの教え子だったことは有名な話です。
ともかくRobertsonは、Grahamのバリュー投資とJonesのロングショートのコンセプトを合わせる形で、1980年に受託資産800万ドル(現在のレートで約9億円)でTiger Managementを立ち上げたわけですが、彼は投資対象企業について徹底的なリサーチを行い、経営者はもちろんのこと、取引先から顧客から競合他社から、考えうる全ての関係者から話を聞いて、他の投資家が気付いていないであろう企業の「真実」を見つけ出そうとしたと言われています。
またRobertsonは、投資「ストーリー」が十分に納得行くものであった時には巨額のポジションを作ることも厭わなったと言い、この辺はBuffettとの共通点を感じます。またJonesの市場リスクを回避するスタイルを確実に実行するために、ショートポジションの重要性についても深く理解していたと言われており、このような確固たるコンセプトと、Robertsonの実行力に支えられて、Tigerは市場最強のヘッジファンドに育っていくわけです。
Robertsonの徹底した投資実践の背景には、同氏が非常に負けず嫌いであることも関係しているようです。ゴルフでは1ホールでも友達に負けると不機嫌になったと言う同氏は、投資で確実に勝つ方法としてこのバリュー投資を心の底から信奉していたのかもしれません。ヘッジファンド業界では、成功するマネージャーは投資に関してものすごい情熱を燃やしている人だと言われていますが、Robertsonはまさにその頂点を極めていたと言えそうです。(某タイガーカブのマネージャーも、Julianほど株式投資を愛し、それを楽しむ人を見たことがないと言っていました。)
Tigerは後にヘッジファンド業界に多くの人材を輩出したことでも知られていますが、この点は運用に関して部下に対する権力委譲を進めたSorosと異なり、Robertsonが全ての投資決定を自らやっていたことと関係している気がします。
勝ち気で癇癪持ちだったとされるRobertsonの下で働くアナリスト達は、投資会議で彼を怒らせずに説得する為に、みんな必至で準備をしたそうです。しかも調査に何ヶ月かけても同氏には5分以内に、紙であれば4行以内で投資アイデアを説明することが求められたそうで、それで理解出来ない「ストーリー」には一切手を出さなかったと言うから驚きです。
Tigerは採用方針も独特で、投資経験者を雇い入れるのではなく、投資銀行などで定量分析について基礎トレーニングを受けた若手で、貪欲ではあるが投資経験のない人間を雇って、自分の投資スタイルを徹底的に教え込んだと言われています。一時期Robertsonの右腕と呼ばれ、後にBlue Ridge Capitalを立ち上げるJohn Griffinは、Morgan Stanleyでのたった二年程度の職経験の後にTigerに入社し、即頭角を表わしたそうです。
またRobertsonは、「勝ち」にこだわる気持ちを重視して、スポーツに従事した経験のある人を積極的に採用したと言われています。その結果アナリスト達は投資で「勝つ」ことだけを目的にRobertsonと投資アイデアをぶつけ合うのが当たり前な環境の中で、自然と大物ヘッジファンドマネージャーに育っていったのかもしれません。(Tiger存続中に同業他社に移った人間は何とゼロだそうです。)
そんなTiger Managementが何故崩壊に至ったかという話ですが、端的に言えばRobertsonの「勝ち気」に根ざした事業拡大へのあくなきこだわりと、インターネットバブルと言う未曾有の「非合理市場」の出現の二つが要因としてある気がします。
同社はファンド規模の拡大を目指して80年代後半から「グローバルマクロ」戦略に傾斜して行ったそうですが、グローバルマクロ戦略は、株式ロングショートが陥る「投資対象(流動性)不足」の問題を気にすることなくポジションの拡大が出来る上、バリュー投資とことなり極めて短期間で大きなリターンを上げることが出来るという魅力があります。
しかしRobertson本人がどう思っているかは別として、得意分野である株式バリュー投資のスタイルとは違うところで勝負するのは諸刃の剣とも言える戦略だったのかもしれません。実際Tigerは、アジア通貨危機の際などにグローバルマクロのポジションで相当額の損失を出してしまったと言われています。
これは、1986年にRobetsonが投資家向けの手紙の中で語ったとされる、「当社の強みはその善悪はともかく銘柄選択にあり、まったく異質な業務であるコモディティ投資の取引にはない」と言いつつも、「しかしながら、どんな種類のものであれ、投資の手法から完全に閉め出すのは常に誤りである。というのは、それはチャンスを見逃す結果になるからだ」と言ってグローバルマクロ戦略に進出して行った点に、そもそも戦略上の矛盾があったと言えるかもしれません。
そして同時期の1998年から99年に、主戦場の株式市場で「バリュー投資が死んだ」とまで言われたテックバブルが重なったのは、Tigerにとって非常に悲運だったと言えると思います。BuffettやRobertsonが好んだオールドエコノミー株は軒並み値下がりし、また何の利益も生み出していないインターネット株が暴騰し続けるような環境は、バリュー投資を行うロングショートのヘッジファンドにとっては、買いたいものがないという、非常に厳しい環境と言えます。
更に組織面でも、巨額の資産を運用していた末期には、従業員を訓練するかわりにセルサイドのトップリサーチアナリストや、競合のヘッジファンドマネージャーを雇う形に変質してしまったそうです。その結果、社内の投資会議において、プロであるはずの自らのアイデアを否定されたマネージャー同士の確執が生まれ、致命的な組織的問題に発展して言ったと言われているそうです。
そんな色々な問題が重なって、世間がネットバブルで浮かれていた98年‐99年にはTigerはマイナスのリターンを記録し、最大で$22bn(2.4兆円)規模まで膨らんだファンドサイズの3分の1に匹敵する金額の解約が殺到したそうです。そんな状況に直面したRobertsonは、投資家に対して間違ったことを勧めるくらいならばとファンドのクローズを決断したと言われています。
このようなTigerの悲運な終焉の教訓を受けてか、タイガーカブスが運営する大手ファンドのマネージング・パートナー(社長)の何人かに話を聞いた際には、各人とも「自分はファンダメンタルズ投資家であり、自分の強みは企業価値を判断することだ。自分の分からない事に手を出しても勝てる気がしないので、ファンドを不必要に拡大したり投資先を分散させる気は全くない」ということを言っていました。明快な投資スタイルの実践と過剰な拡大欲の抑制こそが、ロングショート戦略の成功には必要なのかもしれません。
余談ですが、株式投資を愛し今でも自らの資産を運用して悠々自適の暮らしをしているRobertsonは、ゴルフ好きが興じて別荘を保有するニュージーランドにいくつかの有名なコースを開設しています。以下はその一つ、Cape Kidnappersです。
(画像はhttp://www.emporis.com/en/wm/bu/?id=114207、http://books.global-investor.com、
http://www.golfnewzealand.com より)
Tigerはヘッジファンド業界の「三賢人」と呼ばれるGeorge Soros、Michael Steinhardtと並び称されるJulian Robertsonが1980年から2000年にかけて運営したファンドです。
そこで育った「タイガーカブス」の運営するヘッジファンドは、先日触れた「第一世代」の大手4社に加えて、タイガー崩壊後に同社のNYパークアベニューのオフィスを利用して運営を行っている「第二世代」(Tiger Global、Tiger Asia、Tiger Consumer等)、そしてそれ以外にも数多くの数百億から数千億の規模のファンドが存在しています。
ダニエル・A・ストラックマン著の「魔術師は市場でよみがえる-タイガー・マネジメントの興亡」(東洋経済新報社)によると、現在ヘッジファンド業界の全運用資金の10%超、株式運用の20%超がこのタイガーカブスによって運営されていると考えられるそうで、その影響力の大きさが分かる気がします。
そんな伝説のヘッジファンドTiger Managementがどのような経緯で盛衰し、また同社を率いたJulian Robertsonと言う人物はどういう人だったのかは、大変興味深いところです。そんなことについて、上記の著書を参考にまとめてみたいと思います。
1932年生まれのRobertsonは、Tigerを立ち上げる以前には当時大手証券の一つで現在はUBSに買収されているKidder Peabodyで21年間働いており、その時期にヘッジファンドのコンセプトを開発したAlfred Jonesと知り合ったそうです。元々Forbesの記者だったJonesは、記者活動を通じて市場のタイミングを計ることの難しさを悟り、市場を相手にした売買から決別して銘柄選びに焦点を選ぶことでリターンを上げる「ロングショート」の運用スタイルを生み出した人として知られています。
ただ肝心のどの銘柄を選択すべきかについては、先述の「三賢人」が確実な実績を残すに至り、中でもRobertsonは、企業のファンダメンタルズを重視したバリュー投資(割安株をロングし割高株をショートする手法)によって大きな利益を上げ続けたことで知られています。
このスタイルをうまく言い表すには、「市場アナリストではなく企業アナリストたれ」、「市場は個別企業の集まりに過ぎず、市場という独立の主体は存在しない」といった、史上最強のバリュー投資家として知られるWarren BuffettやRobertsonの言葉が適切かもしれません。バリュー投資の手法は古典的名著「証券投資」を記したBenjamin GrahamとDavid Doddが生み出したと言われていますが、Buffettがコロンビア大でGrahamの教え子だったことは有名な話です。
ともかくRobertsonは、Grahamのバリュー投資とJonesのロングショートのコンセプトを合わせる形で、1980年に受託資産800万ドル(現在のレートで約9億円)でTiger Managementを立ち上げたわけですが、彼は投資対象企業について徹底的なリサーチを行い、経営者はもちろんのこと、取引先から顧客から競合他社から、考えうる全ての関係者から話を聞いて、他の投資家が気付いていないであろう企業の「真実」を見つけ出そうとしたと言われています。
またRobertsonは、投資「ストーリー」が十分に納得行くものであった時には巨額のポジションを作ることも厭わなったと言い、この辺はBuffettとの共通点を感じます。またJonesの市場リスクを回避するスタイルを確実に実行するために、ショートポジションの重要性についても深く理解していたと言われており、このような確固たるコンセプトと、Robertsonの実行力に支えられて、Tigerは市場最強のヘッジファンドに育っていくわけです。
Robertsonの徹底した投資実践の背景には、同氏が非常に負けず嫌いであることも関係しているようです。ゴルフでは1ホールでも友達に負けると不機嫌になったと言う同氏は、投資で確実に勝つ方法としてこのバリュー投資を心の底から信奉していたのかもしれません。ヘッジファンド業界では、成功するマネージャーは投資に関してものすごい情熱を燃やしている人だと言われていますが、Robertsonはまさにその頂点を極めていたと言えそうです。(某タイガーカブのマネージャーも、Julianほど株式投資を愛し、それを楽しむ人を見たことがないと言っていました。)
Tigerは後にヘッジファンド業界に多くの人材を輩出したことでも知られていますが、この点は運用に関して部下に対する権力委譲を進めたSorosと異なり、Robertsonが全ての投資決定を自らやっていたことと関係している気がします。
勝ち気で癇癪持ちだったとされるRobertsonの下で働くアナリスト達は、投資会議で彼を怒らせずに説得する為に、みんな必至で準備をしたそうです。しかも調査に何ヶ月かけても同氏には5分以内に、紙であれば4行以内で投資アイデアを説明することが求められたそうで、それで理解出来ない「ストーリー」には一切手を出さなかったと言うから驚きです。
Tigerは採用方針も独特で、投資経験者を雇い入れるのではなく、投資銀行などで定量分析について基礎トレーニングを受けた若手で、貪欲ではあるが投資経験のない人間を雇って、自分の投資スタイルを徹底的に教え込んだと言われています。一時期Robertsonの右腕と呼ばれ、後にBlue Ridge Capitalを立ち上げるJohn Griffinは、Morgan Stanleyでのたった二年程度の職経験の後にTigerに入社し、即頭角を表わしたそうです。
またRobertsonは、「勝ち」にこだわる気持ちを重視して、スポーツに従事した経験のある人を積極的に採用したと言われています。その結果アナリスト達は投資で「勝つ」ことだけを目的にRobertsonと投資アイデアをぶつけ合うのが当たり前な環境の中で、自然と大物ヘッジファンドマネージャーに育っていったのかもしれません。(Tiger存続中に同業他社に移った人間は何とゼロだそうです。)
そんなTiger Managementが何故崩壊に至ったかという話ですが、端的に言えばRobertsonの「勝ち気」に根ざした事業拡大へのあくなきこだわりと、インターネットバブルと言う未曾有の「非合理市場」の出現の二つが要因としてある気がします。
同社はファンド規模の拡大を目指して80年代後半から「グローバルマクロ」戦略に傾斜して行ったそうですが、グローバルマクロ戦略は、株式ロングショートが陥る「投資対象(流動性)不足」の問題を気にすることなくポジションの拡大が出来る上、バリュー投資とことなり極めて短期間で大きなリターンを上げることが出来るという魅力があります。
しかしRobertson本人がどう思っているかは別として、得意分野である株式バリュー投資のスタイルとは違うところで勝負するのは諸刃の剣とも言える戦略だったのかもしれません。実際Tigerは、アジア通貨危機の際などにグローバルマクロのポジションで相当額の損失を出してしまったと言われています。
これは、1986年にRobetsonが投資家向けの手紙の中で語ったとされる、「当社の強みはその善悪はともかく銘柄選択にあり、まったく異質な業務であるコモディティ投資の取引にはない」と言いつつも、「しかしながら、どんな種類のものであれ、投資の手法から完全に閉め出すのは常に誤りである。というのは、それはチャンスを見逃す結果になるからだ」と言ってグローバルマクロ戦略に進出して行った点に、そもそも戦略上の矛盾があったと言えるかもしれません。
そして同時期の1998年から99年に、主戦場の株式市場で「バリュー投資が死んだ」とまで言われたテックバブルが重なったのは、Tigerにとって非常に悲運だったと言えると思います。BuffettやRobertsonが好んだオールドエコノミー株は軒並み値下がりし、また何の利益も生み出していないインターネット株が暴騰し続けるような環境は、バリュー投資を行うロングショートのヘッジファンドにとっては、買いたいものがないという、非常に厳しい環境と言えます。
更に組織面でも、巨額の資産を運用していた末期には、従業員を訓練するかわりにセルサイドのトップリサーチアナリストや、競合のヘッジファンドマネージャーを雇う形に変質してしまったそうです。その結果、社内の投資会議において、プロであるはずの自らのアイデアを否定されたマネージャー同士の確執が生まれ、致命的な組織的問題に発展して言ったと言われているそうです。
そんな色々な問題が重なって、世間がネットバブルで浮かれていた98年‐99年にはTigerはマイナスのリターンを記録し、最大で$22bn(2.4兆円)規模まで膨らんだファンドサイズの3分の1に匹敵する金額の解約が殺到したそうです。そんな状況に直面したRobertsonは、投資家に対して間違ったことを勧めるくらいならばとファンドのクローズを決断したと言われています。
このようなTigerの悲運な終焉の教訓を受けてか、タイガーカブスが運営する大手ファンドのマネージング・パートナー(社長)の何人かに話を聞いた際には、各人とも「自分はファンダメンタルズ投資家であり、自分の強みは企業価値を判断することだ。自分の分からない事に手を出しても勝てる気がしないので、ファンドを不必要に拡大したり投資先を分散させる気は全くない」ということを言っていました。明快な投資スタイルの実践と過剰な拡大欲の抑制こそが、ロングショート戦略の成功には必要なのかもしれません。
余談ですが、株式投資を愛し今でも自らの資産を運用して悠々自適の暮らしをしているRobertsonは、ゴルフ好きが興じて別荘を保有するニュージーランドにいくつかの有名なコースを開設しています。以下はその一つ、Cape Kidnappersです。
(画像はhttp://www.emporis.com/en/wm/bu/?id=114207、http://books.global-investor.com、
http://www.golfnewzealand.com より)
by harry_g
| 2006-05-22 06:05
| ヘッジファンド・株式投資