2012年 01月 30日
“Wir sind die 99%!” |
中国で人々が春節を祝っている頃、スイスアルプス山中の街Davosでは、今年もWorld Economic Forum(WEF、ダボス会議)が開催されました。ここ数年WEFの話題をブログで取り上げて来ましたが、世界の関心がどこにあるのかを見極める為には、とてもよい情報源であるように思います。
今年のWEFは、長引く欧州の財政危機や、イラン周辺で地政学的緊張が高まる中で開催されたわけですが、1月25日のFTの記事「Income disparity tops list of concerns(所得格差が議題のトップに)」が示すところによると、特に大きな関心を集めた問題として、先進国における所得格差があったようです。
世界の主要国から政財界の関係者が参加して行われるWEFは、今まで「アセットバブルの崩壊」、「石油価格の急上昇」、「天然資源の枯渇」、「ウォールストリートの暴走」などの経済問題を、主要議題として取り上げてきました。そんなWEFが、市場経済推進の結果として引き起こされたとも言えそうな、所得格差の問題にスポットライトを当てたと言うのは、とても興味深い話です。
もちろんこれには、足元に色々な原因が見て取れます。FTの記事では、「アラブの春」と称される中東での民主化運動の主因として、貧富の差の拡大をあげていました。また、ヨーロッパやアメリカで失業率が高止まりしていることも、昨年取り上げた「ウォールストリートを占拠せよ」運動で見て取れるように、先進国において所得格差問題の深刻化を物語っています。
一面の雪に覆われたWEFの会場の外では、「我々が(非富裕層の)99%だ!」のプラカードを持った抗議者が、世界から集まる政治経済のエリートに向けて、声を張り上げていたそうですが、警察の制止にもかかわらず、その声は会場の中にいる会議の参加者まで十分届いたようだと、FTでは指摘していました。
金融業界に対して厳しい声が上がりやすい欧州で開催されたWEFですが、貧富の差拡大の原因を、短絡的に「ウォールストリートのせい」とすることは無かったようです。むしろ当ブログでも以前から主張していますが、中間層消失の問題を、経済のグローバル化による低コスト国への単純労働の流出や、IT化の進展による労働生産性の向上といった「構造的要因」として、取り上げたようです。
日本における中間層消失問題
中間層が徐々に消失することによる貧富の差拡大の問題は、以前にアメリカ経済について取り上げた際に、何度か書いたことがありますが、これは何も、欧米に限った話ではありません。
2005年頃から「勝ち組・負け組」という言葉が流行りだした日本も、全く同じ問題に直面していると言える気がします。その引き金になったのは、いわゆる「派遣法」であったように記憶していますが、法律自体が悪いのではなく、そのような雇用形態を必要たらしめた経済状況が背景にあったことは、言うまでもありません。
しかし2012年明けて間もない1月6日のNY Timesの、日曜日のオピニオンセクションに、「The Myth of Japan’s Failure(日本経済衰退という神話)」と言う記事が載りました。90年代の日本の金融危機を予想したというEamonn Fingleton氏による寄稿ですが、これによると「失われた20年」と揶揄される日本経済は、実際には悪くなっていない、ということでした。
しかし、著者が日本が良くなっている理由として挙げていた、「平均寿命が伸びている」「通貨が大幅に強くなっている」などと言った話は、むしろ財政を圧迫して国民負担を増やす、企業の利益を減らして国内労働市場の空洞化を進展させるなど、明らかなマイナス要因である気がします。現在進行中の貧富の差拡大は、まさにこうした事象の結果と言えるかもしれません。
もしかしたらFingleton氏は、「そんなに卑屈にならなくても、日本には素晴らしい事が沢山あるじゃないか」と言いたかったのかもしれません。それはその通りだと思うのですが、かと言って過去からの蓄積の上にあぐらをかき、問題を直視せずに気持ちだけ入れ替えろと言うのでは、ある意味戦前のスローガンのようで、問題解決にはつながらない気がします。
解決策はあるか
FTの記事の中でErnst & YoungのGlobal Vice ChairmanであるBeth Brooke氏が主張していたように、中間層消失の問題を看過することは、政治や社会の安定にとって、大きなリスクだと思います。ではどうすれば良いのか、という話ですが、世界経済のシステムを変えるような改革が必要となる可能性もあり、そう簡単な話ではありません。
例えば、グローバル化の針をまき戻せ、という主張もあるかと思います。しかし、保護主義の結果引き起こされる、各国間でのミスコミュニケーションは、国家間紛争の最大の要因となってしまった過去があります。また、MNC(多国籍企業)の資産が世界中に分散している今日、今更逆戻りをするのは、非現実的である気がします。
また、最近アメリカやフランスでもよく議論されているように、「高額所得者に課税すれば良い」、「金融取引に課税すればよい」などと言った意見も出たようです。しかし、問題の根幹が、現在の世界経済システムにあると考えられる以上、そんな単純な方法で貧富の差が解消するとは、到底思えません。
かつてヘッジファンド業界のトップに君臨したGeorge Soros氏も、「私も高額所得者から高い税金を取れと主張する“ビリオネア”の一人だ」と主張したそうですが、有利な税制を利用してビリオネアになった自分自身が、まず自ら過去に遡って、個人資産のほぼ全額を納税するでもしない限り、現在キャリアや事業を頑張っている人達に対して、何とも身勝手な話に響きます。そもそも、中間層消失の問題と、高額所得者への課税拡大は、あまり関係がないように感じます。
そう考えると、いつも同じ結論ですが、やはり内需を拡大し、輸出に過当に依存しない経済体制を作り上げることが、重要であるのかもしれません。内需拡大とは、つまりサービス業を活気付けることであり、金融でも外食でも医療でも観光業でも、ともかく国内において経済がうまく循環するよう、不必要な規制を撤廃していくことが、求められている気がします。
中国の状況
経済のグローバル化によって、労働力の安い途上国へのアクセスが容易になったことの裏側には、「世界の工場」として経済の底上げを図ってきた、中国のような国の存在があります。1月28日のThe Economist誌が、「China and the paradox of prosperity(中国と繁栄のなぞ)」の中で主張していたように、今後世界経済は、様々な面において巨大かつ発展途上の中国経済と、上手く付き合って行く必要がある気がします。
Economist誌は、この号より、中国を独立セクションとして取り扱い始めました。同誌が一国をそのように扱うのは、1942年に米国を独立させて以来始めてのことだそうで、中国経済の重要さを、強く印象付けられます。
先進国の失業者拡大の原因が中国にあるとすれば、先進国の低インフレの要因も中国にあると言えます。よって中国にむやみに圧力をかけて、現状の経済体制を混乱させるのではなく、むしろ今後大幅に拡大すると思われる需要を取り込んでいくことを、先進国は優先して考える必要があるように思います。
実際中国は、欧米から政治的圧力を受けるまでもなく、先進国経済の減速に対応して、輸出依存型経済からの脱却を迫られています。同国のGDPを分解すると、数字上はFAI(固定資本投資)がドライビングフォースであり、純輸出ではありません。しかし、そうした投資資金の源泉はどこかと考えれば、「世界の工場」たる輸出依存型経済システムと言って、間違いない気がします。
輸出業は、人民元高や賃金上昇などによって、今後徐々にスクイーズされていくことは避けられそうもありません。同時に、過剰な規制や非効率な経済システムが、そこここでバブル的現象と貧富の差の拡大を、招いている気がします。そう考えると、経済システム改革は、治安安定を最重要政策課題に掲げる中国共産党にとっても、待ったなしの課題と言える気がします。
ただ、中国製造業の競争力は、ASEANなどが束になってもかなわない程であり、それは労働者のクオリティのみならず、充実したサプライチェーンや、効率的輸出入を実現する港の存在など、システムとして完全に確立しているように見えます。最近では労働者賃金が数十%上昇するなどしていますが、生産性も向上しており、「世界の工場」の立場は、なかなか解消しそうもありません。
このことは今でも製造業、輸出加工業に、ほぼ全経済成長を依存しているとも言える日本にとっては、今後一層大きな問題になってくるかもしれません。
1月24日のWSJ「End of Era for Japan’s Exports(日本の輸出時代の終焉)」でも取り上げられていた通り、日本では、2008年以降の長引く円高(ドル安)によって、製造業の価格競争力が大幅に低下し、産業の空洞化がより一層急速に進展しています。
企業は海外へ工場を移転させることで、利益を維持できるかもしれませんが、国内雇用や所得水準の問題は深刻です。これこそが円高の明確なデメリットであり、その上、グローバル化した経済のメリットを最大限に享受した韓国や中国が、製造業における強力なライバルとして一層躍進してくることを考えると、輸出加工業のみに依存した現在のシステムの限界は明らかです。
現在、永田町で議題に上っている、財政再建のための増税や社会保障改革は、もちろん重要な課題(と言うか、バブル後に改革をサボって来た結果の必然)です。しかし、根本的な経済システムの変革を進めて、本格的に輸出依存からの脱却を図らない限り、日本は経済の復活のみならず、貧富の差解消問題においても、世界に遅れをとってしまうかもしれません。
2012年の展望
WEF(ダボス会議)の総括をした様々な記事を見ていると、なかなか解決策が見えない問題が山積していて、暗い雰囲気は続いているようです。しかし同時に、力強い発展を続ける途上国の存在や、徐々に回復してきたように見えるアメリカ経済など、薄明かりが灯って来たようにも感じられます。
世界の株式市場も、1月30日現在、米国のS&P 500が5%、Nasdaqが8%、Euro Stoxxが4%、DAXが9%、日経平均が4%、ハンセン指数が9%など、年初から大幅な上昇を示しており、投資家が徐々にリスクアセットへの資金配分に積極的になっていることが感じられます。
とは言え、欧州財政危機は今でも解決に至っておらず、イラン情勢も不安定で、インフレに苦しく途上国経済にも減速感が感じられるなど、楽観的になるのは到底困難な状況にある気がします。また今年は、アメリカやフランスを始めとする主要国の首長選もあり、中国でも政権移行が予定されています。
そんな不安定な情勢の中でも、中長期的に解決策を見出さなくてはならない、先進国における貧富の差拡大の問題が、WEFのような場で取り上げられたことは、非常に意義深いことであると言える気がします。リーマン危機後、既に今年で「危機4年目」になってしまいましたが、世界がより良い方向に進んで行くことを願うばかりです。
「新年快乐、恭喜發財」
今年のWEFは、長引く欧州の財政危機や、イラン周辺で地政学的緊張が高まる中で開催されたわけですが、1月25日のFTの記事「Income disparity tops list of concerns(所得格差が議題のトップに)」が示すところによると、特に大きな関心を集めた問題として、先進国における所得格差があったようです。
世界の主要国から政財界の関係者が参加して行われるWEFは、今まで「アセットバブルの崩壊」、「石油価格の急上昇」、「天然資源の枯渇」、「ウォールストリートの暴走」などの経済問題を、主要議題として取り上げてきました。そんなWEFが、市場経済推進の結果として引き起こされたとも言えそうな、所得格差の問題にスポットライトを当てたと言うのは、とても興味深い話です。
もちろんこれには、足元に色々な原因が見て取れます。FTの記事では、「アラブの春」と称される中東での民主化運動の主因として、貧富の差の拡大をあげていました。また、ヨーロッパやアメリカで失業率が高止まりしていることも、昨年取り上げた「ウォールストリートを占拠せよ」運動で見て取れるように、先進国において所得格差問題の深刻化を物語っています。
一面の雪に覆われたWEFの会場の外では、「我々が(非富裕層の)99%だ!」のプラカードを持った抗議者が、世界から集まる政治経済のエリートに向けて、声を張り上げていたそうですが、警察の制止にもかかわらず、その声は会場の中にいる会議の参加者まで十分届いたようだと、FTでは指摘していました。
日本における中間層消失問題
中間層が徐々に消失することによる貧富の差拡大の問題は、以前にアメリカ経済について取り上げた際に、何度か書いたことがありますが、これは何も、欧米に限った話ではありません。
2005年頃から「勝ち組・負け組」という言葉が流行りだした日本も、全く同じ問題に直面していると言える気がします。その引き金になったのは、いわゆる「派遣法」であったように記憶していますが、法律自体が悪いのではなく、そのような雇用形態を必要たらしめた経済状況が背景にあったことは、言うまでもありません。
しかし2012年明けて間もない1月6日のNY Timesの、日曜日のオピニオンセクションに、「The Myth of Japan’s Failure(日本経済衰退という神話)」と言う記事が載りました。90年代の日本の金融危機を予想したというEamonn Fingleton氏による寄稿ですが、これによると「失われた20年」と揶揄される日本経済は、実際には悪くなっていない、ということでした。
しかし、著者が日本が良くなっている理由として挙げていた、「平均寿命が伸びている」「通貨が大幅に強くなっている」などと言った話は、むしろ財政を圧迫して国民負担を増やす、企業の利益を減らして国内労働市場の空洞化を進展させるなど、明らかなマイナス要因である気がします。現在進行中の貧富の差拡大は、まさにこうした事象の結果と言えるかもしれません。
もしかしたらFingleton氏は、「そんなに卑屈にならなくても、日本には素晴らしい事が沢山あるじゃないか」と言いたかったのかもしれません。それはその通りだと思うのですが、かと言って過去からの蓄積の上にあぐらをかき、問題を直視せずに気持ちだけ入れ替えろと言うのでは、ある意味戦前のスローガンのようで、問題解決にはつながらない気がします。
解決策はあるか
FTの記事の中でErnst & YoungのGlobal Vice ChairmanであるBeth Brooke氏が主張していたように、中間層消失の問題を看過することは、政治や社会の安定にとって、大きなリスクだと思います。ではどうすれば良いのか、という話ですが、世界経済のシステムを変えるような改革が必要となる可能性もあり、そう簡単な話ではありません。
例えば、グローバル化の針をまき戻せ、という主張もあるかと思います。しかし、保護主義の結果引き起こされる、各国間でのミスコミュニケーションは、国家間紛争の最大の要因となってしまった過去があります。また、MNC(多国籍企業)の資産が世界中に分散している今日、今更逆戻りをするのは、非現実的である気がします。
また、最近アメリカやフランスでもよく議論されているように、「高額所得者に課税すれば良い」、「金融取引に課税すればよい」などと言った意見も出たようです。しかし、問題の根幹が、現在の世界経済システムにあると考えられる以上、そんな単純な方法で貧富の差が解消するとは、到底思えません。
かつてヘッジファンド業界のトップに君臨したGeorge Soros氏も、「私も高額所得者から高い税金を取れと主張する“ビリオネア”の一人だ」と主張したそうですが、有利な税制を利用してビリオネアになった自分自身が、まず自ら過去に遡って、個人資産のほぼ全額を納税するでもしない限り、現在キャリアや事業を頑張っている人達に対して、何とも身勝手な話に響きます。そもそも、中間層消失の問題と、高額所得者への課税拡大は、あまり関係がないように感じます。
そう考えると、いつも同じ結論ですが、やはり内需を拡大し、輸出に過当に依存しない経済体制を作り上げることが、重要であるのかもしれません。内需拡大とは、つまりサービス業を活気付けることであり、金融でも外食でも医療でも観光業でも、ともかく国内において経済がうまく循環するよう、不必要な規制を撤廃していくことが、求められている気がします。
中国の状況
経済のグローバル化によって、労働力の安い途上国へのアクセスが容易になったことの裏側には、「世界の工場」として経済の底上げを図ってきた、中国のような国の存在があります。1月28日のThe Economist誌が、「China and the paradox of prosperity(中国と繁栄のなぞ)」の中で主張していたように、今後世界経済は、様々な面において巨大かつ発展途上の中国経済と、上手く付き合って行く必要がある気がします。
Economist誌は、この号より、中国を独立セクションとして取り扱い始めました。同誌が一国をそのように扱うのは、1942年に米国を独立させて以来始めてのことだそうで、中国経済の重要さを、強く印象付けられます。
実際中国は、欧米から政治的圧力を受けるまでもなく、先進国経済の減速に対応して、輸出依存型経済からの脱却を迫られています。同国のGDPを分解すると、数字上はFAI(固定資本投資)がドライビングフォースであり、純輸出ではありません。しかし、そうした投資資金の源泉はどこかと考えれば、「世界の工場」たる輸出依存型経済システムと言って、間違いない気がします。
輸出業は、人民元高や賃金上昇などによって、今後徐々にスクイーズされていくことは避けられそうもありません。同時に、過剰な規制や非効率な経済システムが、そこここでバブル的現象と貧富の差の拡大を、招いている気がします。そう考えると、経済システム改革は、治安安定を最重要政策課題に掲げる中国共産党にとっても、待ったなしの課題と言える気がします。
ただ、中国製造業の競争力は、ASEANなどが束になってもかなわない程であり、それは労働者のクオリティのみならず、充実したサプライチェーンや、効率的輸出入を実現する港の存在など、システムとして完全に確立しているように見えます。最近では労働者賃金が数十%上昇するなどしていますが、生産性も向上しており、「世界の工場」の立場は、なかなか解消しそうもありません。
このことは今でも製造業、輸出加工業に、ほぼ全経済成長を依存しているとも言える日本にとっては、今後一層大きな問題になってくるかもしれません。
1月24日のWSJ「End of Era for Japan’s Exports(日本の輸出時代の終焉)」でも取り上げられていた通り、日本では、2008年以降の長引く円高(ドル安)によって、製造業の価格競争力が大幅に低下し、産業の空洞化がより一層急速に進展しています。
企業は海外へ工場を移転させることで、利益を維持できるかもしれませんが、国内雇用や所得水準の問題は深刻です。これこそが円高の明確なデメリットであり、その上、グローバル化した経済のメリットを最大限に享受した韓国や中国が、製造業における強力なライバルとして一層躍進してくることを考えると、輸出加工業のみに依存した現在のシステムの限界は明らかです。
現在、永田町で議題に上っている、財政再建のための増税や社会保障改革は、もちろん重要な課題(と言うか、バブル後に改革をサボって来た結果の必然)です。しかし、根本的な経済システムの変革を進めて、本格的に輸出依存からの脱却を図らない限り、日本は経済の復活のみならず、貧富の差解消問題においても、世界に遅れをとってしまうかもしれません。
2012年の展望
WEF(ダボス会議)の総括をした様々な記事を見ていると、なかなか解決策が見えない問題が山積していて、暗い雰囲気は続いているようです。しかし同時に、力強い発展を続ける途上国の存在や、徐々に回復してきたように見えるアメリカ経済など、薄明かりが灯って来たようにも感じられます。
世界の株式市場も、1月30日現在、米国のS&P 500が5%、Nasdaqが8%、Euro Stoxxが4%、DAXが9%、日経平均が4%、ハンセン指数が9%など、年初から大幅な上昇を示しており、投資家が徐々にリスクアセットへの資金配分に積極的になっていることが感じられます。
とは言え、欧州財政危機は今でも解決に至っておらず、イラン情勢も不安定で、インフレに苦しく途上国経済にも減速感が感じられるなど、楽観的になるのは到底困難な状況にある気がします。また今年は、アメリカやフランスを始めとする主要国の首長選もあり、中国でも政権移行が予定されています。
そんな不安定な情勢の中でも、中長期的に解決策を見出さなくてはならない、先進国における貧富の差拡大の問題が、WEFのような場で取り上げられたことは、非常に意義深いことであると言える気がします。リーマン危機後、既に今年で「危機4年目」になってしまいましたが、世界がより良い方向に進んで行くことを願うばかりです。
「新年快乐、恭喜發財」
by harry_g
| 2012-01-30 23:54
| 世界経済・市場トレンド