2010年 10月 23日
通貨戦争-アメリカの内情と日本への期待 |
前回、ウォールストリートで昨今注目を集めている「国際通貨戦争」(自国通貨価値の引下げ競争)の発生原因と、それに対する考え得る解決策について触れました。
今回はそれに引き続いて、通貨戦争の解決に重要となるアメリカ経済の回復見通しと、それに関連した根深い「インフレ恐怖症」や経済政策の有効性についての論争、そして最後に若干だけ、世界経済のリバランス化の中で日本に期待されることについて、書いてみたいと思います。
Tea Party現象
今アメリカでは、Tea Partyと呼ばれる政治運動が、大変勢いをつけて来ています。ボストン茶会事件から名前を取っているこの活動は、簡単に言ってしまえば、アメリカの典型的保守派運動で、いわゆる「小さい政府」の実現を、かなり過激な形で訴えています。
10月24日のBusinessweekの記事「The Devil You Don’t Know(あなたの知らない悪魔)」が挙げていた、同運動の代表的主張には、以下のようなものがあります。
- ブッシュ減税の恒久化、預金や配当金への減税
- 相続税の廃止
- 国民皆保険の廃止
- FRB(連邦準備制度=中央銀行)廃止
- IRS(内国歳入庁=国税庁)廃止
9月の始めにワシントンDCに行く機会があったのですが、そこで偶然遭遇したTea Partyの政治集会に集まった人々の横断幕には、「Live Free or Die Hard(自由に生きるか、激しく死ぬか)」と言ったスローガンが掲げられ、また、共和党の元副大統領候補で元アラスカ州知事のSarah Palin氏が、全米から集まった支持者の前で「Wake up, America!(アメリカよ、目を覚ませ!)Restore honor!(誇りを取り戻せ!)」と絶叫していました。
Tea Partyの過激な主張に対してBusinessweek誌は、「Tea Partyの主張する減税などは、企業にとって夢のような話に思えるかもしれない。しかしそれは、その企業が、国際業務を一切しておらず、移民労働者に一切依存しておらず、金融政策による経済安定を不要だと考え、最悪の不況期にも政府による補助や信用保証を一切必要としない、という場合だけに限られる」と書いていました。
要するに、中道で安定した経済環境を望む殆どの常識的企業にとって、Tea Partyの政治主張は余りに過激で非現実的、と言うわけで、記事のタイトルからも分かるように、極めて批判的なトーンになっています。
インフレの恐怖?
Tea Partyが、主要経済誌のカバーストーリーになるほど注目される理由は、失業率が高止まりする中で政府への不満が鬱積し、また財政赤字の拡大やFEDによる金融緩和の継続がインフレ(貨幣価値の暴落と物価上昇)を招くのではないかとの恐怖心が、アメリカには根強く存在しているためだと思われます。
現在のような不況下においても、インフレに対する強い警戒心がある理由は、1980年代にアメリカはスタグフレーション(不景気下での物価上昇)に見舞われ、その際の経験が非常に辛いものであったことが、背景にあると言われます。また、中には、第一次大戦後にドイツで発生したハイパーインフレがナチスの台頭を招いた、という話をする人もいます。
最近の市場の動きを見ていても、景気が低迷する中の金融緩和の継続により、米ドルと金利が下落傾向にある(=デフレを予兆している)一方で、インフレヘッジとして有効とされる金の価格や、最近では株式市場も上昇するなど、デフレ懸念派とインフレ懸念派とで、意見は大きく分かれているように見えます。
また著名な知識人もインフレの恐怖心を煽る発言をメディアで繰り返していて、それが国民や市場の一層の混乱を招いている気がします。
「Krugman, Niall Ferguson Renew Debate Over U.S. Fiscal Stimulus(クルーグマン教授とファーガソン教授、米国の財政刺激策で激論)」というBloombergの記事によると、ハーバード大学の「歴史家」のNeil Ferguson教授は、「投資家が米国政府の財政規律を信頼しなくなったら、金利が急上昇し、財政赤字が更に拡大して更なる金利上昇を招くという、破滅のスパイラルに陥ってしまう」と訴えているようです。
これはTea Party支持者がデモ行進で繰り広げる主張と同じような内容であり、そうした著名人の発言が、財政規律派の勢いを更に強める原因となっていると言えるかもしれません。
しかし実態は、アメリカ経済はむしろ、デフレに陥る危険性を抱えているように見えます。その理由は、今回の不況が日本のバブル崩壊後と同様の「バランスシート不況」と呼ばれる性質のものであり、世の中のお金が借金返済の形でどんどん消えて行くことで、物価が下がって行く(デフレになる)方向に経済が進んでしまう性質のものと考えられるためです。
そのことを理解しているエコノミスト達は、野村総研のリチャード・クー氏や、プリンストン大学のPaul Krugman教授に代表されるように、政府による景気対策の必要性を強く訴え、一般に広がりを見せる過剰なインフレ懸念に対しては、強いトーンで反論しています。
例えば、ノーベル経済学賞を受賞したKrugman氏は前出のBloombergの記事の中で、「1兆ドル(約80兆円)の財政支出拡大も、長期的に見ればアメリカの財政にほとんど影響はない」とし、その理由として、「低金利のおかげで、80兆円の政府負債拡大で増える金利支出はたったの1.7%=$17bn(約1.4兆円)であり 、これは$2.5tril(200兆円)の予算総額と比較すると極めて小さい金額である」としています。
また同氏は、「オバマ政権は、8000億ドル(約64兆円)もの財政支出による景気刺激策を打っておきながら、失業率を10%から低下させるのに失敗した」という、最近アメリカでよく聞かれる批判についても、2010年7月のCNNでのインタビューの中で、以下のような趣旨のことを述べて、景気刺激策の有用性を擁護しています。
「私は以前から、むしろ8140億ドルでは不十分だ、と言って来た。今までに使われた財政刺激策は、3分の1は減税に、残りの3分の2の多くは財政的に困窮する地方政府への補助金に当てられた。そして、目には見えないかもしれないが、発生するはずであった失業を抑えた。目に見える景気対策(公共工事など)は今後必要とされることであり、今は財政出動の勢いを緩めてはいけない。」
更に、自らの主張である、「財政が危機的状態にないことは、米国債の金利に急上昇の兆候が無いことからも分かる」との発言に対し、Ferguson教授が「市場は破綻する直前まで、大丈夫であるように見えるものだ。アメリカ政府は8470億ドル(約86兆円)もの米国債を保有している中国政府に対しても、自らの正しさを説得し続けなければいけない」と批判したことに対しては、「Ferguson氏は経済学の基礎を理解しようともしていない」、と一蹴しています。
似たような議論で、日本でも時折、アメリカに対する外交のカードとして「米国債を売り浴びせればよい」などと言う主張が聞かれますが、極めて非現実的と言える気がします。仮に日本が米国債を売り浴びせれば、自国通貨がドルに対して大幅に上昇し、自らの輸出型経済が破綻してしまうためです。中国についてもこれは同じで、「中国政府を納得させられなければ、米国債は暴落する」と言うFergusonの議論は、どうかと思います。
アメリカに必要な「経済政策」
話は戻りますが、Krugman氏らが「景気対策には8000億ドルで不十分」と言うように、アメリカ経済は、とても力強く回復しているという状況には無いように見えます。そのことが、FRBによる継続的金融緩和を通じて、ドルの独歩安を招き、通貨戦争の引き金になっている面があることを考えると、アメリカ政府が景気回復のために何を為すべきかは、世界や日本にとって重要な関心事と言えると思います。
「経済政策」には、「財政政策」と「金融政策」があり、前者は政府主体で税金を使って仕事などを作り出すことであり、後者は中央銀行が主体となって、金利の引下げや量的緩和(カネのばら撒き)で景気に刺激を与える行為です。このうち、まず財政政策(財政出動)の必要性については、前出のクー氏とKrugman氏は、同じような主張をしています。
例えばBloombergの8月24日の「Koo Says Maintain Fiscal Stimulus to Avoid Double Dip (クー氏、二重底回避のために財政支出の継続を訴える)」の中でクー氏は、世界中の政府が財政赤字の解消を最優先する姿勢を見せているが、それはタイミング的に間違っている。国債の低金利は、市場が「金を借りなさい」と言っているのと同じである。今こそ、高速道路や学校を建設する必要があるところで、どんどん建設すればよい、と述べています。
しかしTea Partyが勢いをつけている今、11月に開催されるアメリカ議会の中間選挙の結果、議会でも共和党の緊縮財政派が力を持ってしまう可能性は、ゼロではない気がします。そうなると、アメリカ政府は必要な財政出動をしにくくなり、その結果、景気回復が遅れ(または最悪の場合デフレになってしまい)、ドル安が止まらずに通貨戦争が激化する、といったシナリオも、有り得ない話ではないかもしれません。
(ちなみに、ギリシャ危機でユーロ体制が危機に陥りかけた欧州では、財政の健全化という、一見不景気において間違った政策判断をしたように見えました。しかし運のよいことに、ユーロがドルに対して大幅に値を下げたことで、ドイツを中心として輸出企業が好業績に沸き、景気は持ちこたえているようです。)
金融政策は効果があるか
仮に財政出動が難しいとなると、もう一方の「金融政策」による景気対策はどうか、ということになります。実際FRBは、低金利誘導や量的緩和など、積極的に金融政策を打ち出しています。しかし、これらの政策の有効性については、日本でバブル後のデフレを経験した野村総研のクー氏は、Krugman氏と意見が異なるようです。
10月12日付の野村の「マンデーミーティング・メモvol554」の中でクー氏は、「10年前にはあれだけ日本の政策担当者をバカ扱いしていたクルーグマン氏が、ようやくここに来て日本が直面していた問題を理解したことは喜ばしい」が、「今でも金融政策によってインフレ誘導をすることが出来ると誤解している」、と指摘しています。
その理由は、「年間数パーセント」という通常のインフレと、金や銀の裏づけのない現在の貨幣経済の中で、無責任な金融政策の結果生まれ得る「年率数百パーセント」というハイパーインフレの違いを無視している為、だそうです。
クー氏は、企業や家計がせっせと負債を減らすことにお金を回そうとする、現行の「バランスシート不況」の中では、金融緩和でカネをばら撒いてもマネーサプライ(市場に出回るお金)は増えず、健全な景気回復につながる通常のインフレを起せない事は、日本のバブル後の例からも明らかである。アメリカの金融当局は、そうした金融政策の限界を完全に理解する必要がある、と強く訴えています。
それに対して、同じ野村グループの中でも、野村證券チーフ・グローバル・エコノミストのPaul Sheard氏は、10月18日付のグローバル・エコノミック・モニターというレポートの中で、日本とアメリカでは状況が異なるため、(最近FRBから発表された)量的緩和第二段は十分に機能する、と主張しています。その理由は以下の通りです。
1.バブルの規模:日本では、地価は3倍になり、その後9割下落したが、アメリカの住宅価格は02年から5割上昇し、その後3割下落したに過ぎない。不良債権処理額も、日本はGDPの20%に達したが、アメリカは6%である。
2.金融システムと政府の対応:当時の日本と違い、アメリカでは危機が即座に資本市場に認識され、金融機関もすばやく解決に動いた。日本では問題解決を銀行任せにし、公的資金注入に8年かかって、その間は金融システムは「仮死状態」だったが、アメリカの対応は早かった。日本では量的緩和の前にデフレが発生していたが、アメリカでは発生していないので、システムはまだ正常である。
3.中央銀行の立場:日銀は対応が後手後手に回ってしまい、量的緩和の効果について「期待感」を醸成することが出来なかった。FRBは対照的に、市場に対してのメッセージ発信による期待感醸成を、非常に重視している。
これらの議論には一理ある部分もありますが、バブルの程度が違うと量的緩和の効果も違うという点には、少々疑問が残るのと、FRBに信頼感があるか(システムが正常か)どうかは、世の中に蔓延するハイパーインフレへの恐怖心を見る限りでは、何とも言えない気がします。
・・・色々書いて来ましたが、財政政策にせよ金融政策にせよ、アメリカ政府による景気刺激策の継続が必要であることだけは、間違いない気がします。それに対して、アメリカ議会において、緊縮財政派(主に共和党右派)が、11月の中間選挙後にどこまで力を持つかについては、注目が必要な点であると思います。
日本への期待
ギリシャ危機を受けたユーロ安に、アメリカの金融緩和によるドル安の進行が重なって、日本経済を支える輸出産業が大変苦しんでいることは、今更言うまでもないと思います。ドル安の流れは、上で書いて来た通り、世界経済のリバランスという大きな流れの中で発生していることであり、一国の政府の介入などで止められるものではないように見受けられます。
仮に、今後世界が本格的に、需要のリバランス(アメリカへの一方的輸出という構造の是正)に向けて動くのだとすると、これは1990年前後に始まったグローバル化経済への転換と同じか、それ以上の変化となるかもしれません。その変化は主に米中間で起こる話なのかもしれませんが、アメリカ経済の回復見通しが立たない中、変化はよりグローバルなものになる可能性も、十分にある気がします。
そうなると日本は、長期的に円高圧力に晒される恐れがあり、現行の輸出依存型の経済体制の維持は難しくなってしまう気がします。そうなると、戦後ずっと続いてきた「輸出依存の一本足打法」を修正して、内需主導型経済へと構造変化をすることが必要となってくるかもしれません。
内需関連産業には、いわゆる規制産業が多く含まれ、金融やメディアなどは、その代表例と言えるかもしれません。これらの産業の規制緩和や改革の難しさは、郵政民営化のドタバタからも容易に見てとれますが、そこは今後50年の日本の経済体制を見越して、政治家や経営者の「英断」が期待されるところです。
また熾烈な国際競争に晒されている製造業の強化についても、内需拡大と同様に、重要課題である気がします。そのためには経団連が求めているような法人税の減税や、国内雇用の柔軟性を最大限確保するための派遣法の継続、世界的競争に勝ち残るためのM&Aや業界統合の促進(公正取引委員会の改革)、そして事業の一層の海外移転などが、求められるかもしれません。
・・・韓国で開催されているG20では、世界経済のリバランスについて、激しい論戦が繰り広げられることが予想されます。既にアメリカは、世界経済をテーマとする初日の会合で、「経常収支の黒字(赤字)を2015年までにGDP比で4%以内に制限する」と提案し、輸出国に圧力をかけていると、各メディアが報じています。
G20においても、論争の主役は、世界一・二の経済大国であるアメリカと中国になるでしょうが、第三位の日本には、アメリカ経済の回復や中国人民元の切り上げといった他力本願による問題解決ではなく、率先して内需拡大に本気で取り組む姿勢を示すことで、世界経済への貢献と存在感をアピールすることを、期待したいところです。
今回はそれに引き続いて、通貨戦争の解決に重要となるアメリカ経済の回復見通しと、それに関連した根深い「インフレ恐怖症」や経済政策の有効性についての論争、そして最後に若干だけ、世界経済のリバランス化の中で日本に期待されることについて、書いてみたいと思います。
Tea Party現象
今アメリカでは、Tea Partyと呼ばれる政治運動が、大変勢いをつけて来ています。ボストン茶会事件から名前を取っているこの活動は、簡単に言ってしまえば、アメリカの典型的保守派運動で、いわゆる「小さい政府」の実現を、かなり過激な形で訴えています。
10月24日のBusinessweekの記事「The Devil You Don’t Know(あなたの知らない悪魔)」が挙げていた、同運動の代表的主張には、以下のようなものがあります。
- ブッシュ減税の恒久化、預金や配当金への減税
- 相続税の廃止
- 国民皆保険の廃止
- FRB(連邦準備制度=中央銀行)廃止
- IRS(内国歳入庁=国税庁)廃止
9月の始めにワシントンDCに行く機会があったのですが、そこで偶然遭遇したTea Partyの政治集会に集まった人々の横断幕には、「Live Free or Die Hard(自由に生きるか、激しく死ぬか)」と言ったスローガンが掲げられ、また、共和党の元副大統領候補で元アラスカ州知事のSarah Palin氏が、全米から集まった支持者の前で「Wake up, America!(アメリカよ、目を覚ませ!)Restore honor!(誇りを取り戻せ!)」と絶叫していました。
Tea Partyの過激な主張に対してBusinessweek誌は、「Tea Partyの主張する減税などは、企業にとって夢のような話に思えるかもしれない。しかしそれは、その企業が、国際業務を一切しておらず、移民労働者に一切依存しておらず、金融政策による経済安定を不要だと考え、最悪の不況期にも政府による補助や信用保証を一切必要としない、という場合だけに限られる」と書いていました。
要するに、中道で安定した経済環境を望む殆どの常識的企業にとって、Tea Partyの政治主張は余りに過激で非現実的、と言うわけで、記事のタイトルからも分かるように、極めて批判的なトーンになっています。
インフレの恐怖?
Tea Partyが、主要経済誌のカバーストーリーになるほど注目される理由は、失業率が高止まりする中で政府への不満が鬱積し、また財政赤字の拡大やFEDによる金融緩和の継続がインフレ(貨幣価値の暴落と物価上昇)を招くのではないかとの恐怖心が、アメリカには根強く存在しているためだと思われます。
現在のような不況下においても、インフレに対する強い警戒心がある理由は、1980年代にアメリカはスタグフレーション(不景気下での物価上昇)に見舞われ、その際の経験が非常に辛いものであったことが、背景にあると言われます。また、中には、第一次大戦後にドイツで発生したハイパーインフレがナチスの台頭を招いた、という話をする人もいます。
最近の市場の動きを見ていても、景気が低迷する中の金融緩和の継続により、米ドルと金利が下落傾向にある(=デフレを予兆している)一方で、インフレヘッジとして有効とされる金の価格や、最近では株式市場も上昇するなど、デフレ懸念派とインフレ懸念派とで、意見は大きく分かれているように見えます。
また著名な知識人もインフレの恐怖心を煽る発言をメディアで繰り返していて、それが国民や市場の一層の混乱を招いている気がします。
「Krugman, Niall Ferguson Renew Debate Over U.S. Fiscal Stimulus(クルーグマン教授とファーガソン教授、米国の財政刺激策で激論)」というBloombergの記事によると、ハーバード大学の「歴史家」のNeil Ferguson教授は、「投資家が米国政府の財政規律を信頼しなくなったら、金利が急上昇し、財政赤字が更に拡大して更なる金利上昇を招くという、破滅のスパイラルに陥ってしまう」と訴えているようです。
これはTea Party支持者がデモ行進で繰り広げる主張と同じような内容であり、そうした著名人の発言が、財政規律派の勢いを更に強める原因となっていると言えるかもしれません。
しかし実態は、アメリカ経済はむしろ、デフレに陥る危険性を抱えているように見えます。その理由は、今回の不況が日本のバブル崩壊後と同様の「バランスシート不況」と呼ばれる性質のものであり、世の中のお金が借金返済の形でどんどん消えて行くことで、物価が下がって行く(デフレになる)方向に経済が進んでしまう性質のものと考えられるためです。
そのことを理解しているエコノミスト達は、野村総研のリチャード・クー氏や、プリンストン大学のPaul Krugman教授に代表されるように、政府による景気対策の必要性を強く訴え、一般に広がりを見せる過剰なインフレ懸念に対しては、強いトーンで反論しています。
例えば、ノーベル経済学賞を受賞したKrugman氏は前出のBloombergの記事の中で、「1兆ドル(約80兆円)の財政支出拡大も、長期的に見ればアメリカの財政にほとんど影響はない」とし、その理由として、「低金利のおかげで、80兆円の政府負債拡大で増える金利支出はたったの1.7%=$17bn(約1.4兆円)であり 、これは$2.5tril(200兆円)の予算総額と比較すると極めて小さい金額である」としています。
また同氏は、「オバマ政権は、8000億ドル(約64兆円)もの財政支出による景気刺激策を打っておきながら、失業率を10%から低下させるのに失敗した」という、最近アメリカでよく聞かれる批判についても、2010年7月のCNNでのインタビューの中で、以下のような趣旨のことを述べて、景気刺激策の有用性を擁護しています。
「私は以前から、むしろ8140億ドルでは不十分だ、と言って来た。今までに使われた財政刺激策は、3分の1は減税に、残りの3分の2の多くは財政的に困窮する地方政府への補助金に当てられた。そして、目には見えないかもしれないが、発生するはずであった失業を抑えた。目に見える景気対策(公共工事など)は今後必要とされることであり、今は財政出動の勢いを緩めてはいけない。」
更に、自らの主張である、「財政が危機的状態にないことは、米国債の金利に急上昇の兆候が無いことからも分かる」との発言に対し、Ferguson教授が「市場は破綻する直前まで、大丈夫であるように見えるものだ。アメリカ政府は8470億ドル(約86兆円)もの米国債を保有している中国政府に対しても、自らの正しさを説得し続けなければいけない」と批判したことに対しては、「Ferguson氏は経済学の基礎を理解しようともしていない」、と一蹴しています。
似たような議論で、日本でも時折、アメリカに対する外交のカードとして「米国債を売り浴びせればよい」などと言う主張が聞かれますが、極めて非現実的と言える気がします。仮に日本が米国債を売り浴びせれば、自国通貨がドルに対して大幅に上昇し、自らの輸出型経済が破綻してしまうためです。中国についてもこれは同じで、「中国政府を納得させられなければ、米国債は暴落する」と言うFergusonの議論は、どうかと思います。
アメリカに必要な「経済政策」
話は戻りますが、Krugman氏らが「景気対策には8000億ドルで不十分」と言うように、アメリカ経済は、とても力強く回復しているという状況には無いように見えます。そのことが、FRBによる継続的金融緩和を通じて、ドルの独歩安を招き、通貨戦争の引き金になっている面があることを考えると、アメリカ政府が景気回復のために何を為すべきかは、世界や日本にとって重要な関心事と言えると思います。
「経済政策」には、「財政政策」と「金融政策」があり、前者は政府主体で税金を使って仕事などを作り出すことであり、後者は中央銀行が主体となって、金利の引下げや量的緩和(カネのばら撒き)で景気に刺激を与える行為です。このうち、まず財政政策(財政出動)の必要性については、前出のクー氏とKrugman氏は、同じような主張をしています。
例えばBloombergの8月24日の「Koo Says Maintain Fiscal Stimulus to Avoid Double Dip (クー氏、二重底回避のために財政支出の継続を訴える)」の中でクー氏は、世界中の政府が財政赤字の解消を最優先する姿勢を見せているが、それはタイミング的に間違っている。国債の低金利は、市場が「金を借りなさい」と言っているのと同じである。今こそ、高速道路や学校を建設する必要があるところで、どんどん建設すればよい、と述べています。
しかしTea Partyが勢いをつけている今、11月に開催されるアメリカ議会の中間選挙の結果、議会でも共和党の緊縮財政派が力を持ってしまう可能性は、ゼロではない気がします。そうなると、アメリカ政府は必要な財政出動をしにくくなり、その結果、景気回復が遅れ(または最悪の場合デフレになってしまい)、ドル安が止まらずに通貨戦争が激化する、といったシナリオも、有り得ない話ではないかもしれません。
(ちなみに、ギリシャ危機でユーロ体制が危機に陥りかけた欧州では、財政の健全化という、一見不景気において間違った政策判断をしたように見えました。しかし運のよいことに、ユーロがドルに対して大幅に値を下げたことで、ドイツを中心として輸出企業が好業績に沸き、景気は持ちこたえているようです。)
金融政策は効果があるか
仮に財政出動が難しいとなると、もう一方の「金融政策」による景気対策はどうか、ということになります。実際FRBは、低金利誘導や量的緩和など、積極的に金融政策を打ち出しています。しかし、これらの政策の有効性については、日本でバブル後のデフレを経験した野村総研のクー氏は、Krugman氏と意見が異なるようです。
10月12日付の野村の「マンデーミーティング・メモvol554」の中でクー氏は、「10年前にはあれだけ日本の政策担当者をバカ扱いしていたクルーグマン氏が、ようやくここに来て日本が直面していた問題を理解したことは喜ばしい」が、「今でも金融政策によってインフレ誘導をすることが出来ると誤解している」、と指摘しています。
その理由は、「年間数パーセント」という通常のインフレと、金や銀の裏づけのない現在の貨幣経済の中で、無責任な金融政策の結果生まれ得る「年率数百パーセント」というハイパーインフレの違いを無視している為、だそうです。
クー氏は、企業や家計がせっせと負債を減らすことにお金を回そうとする、現行の「バランスシート不況」の中では、金融緩和でカネをばら撒いてもマネーサプライ(市場に出回るお金)は増えず、健全な景気回復につながる通常のインフレを起せない事は、日本のバブル後の例からも明らかである。アメリカの金融当局は、そうした金融政策の限界を完全に理解する必要がある、と強く訴えています。
それに対して、同じ野村グループの中でも、野村證券チーフ・グローバル・エコノミストのPaul Sheard氏は、10月18日付のグローバル・エコノミック・モニターというレポートの中で、日本とアメリカでは状況が異なるため、(最近FRBから発表された)量的緩和第二段は十分に機能する、と主張しています。その理由は以下の通りです。
1.バブルの規模:日本では、地価は3倍になり、その後9割下落したが、アメリカの住宅価格は02年から5割上昇し、その後3割下落したに過ぎない。不良債権処理額も、日本はGDPの20%に達したが、アメリカは6%である。
2.金融システムと政府の対応:当時の日本と違い、アメリカでは危機が即座に資本市場に認識され、金融機関もすばやく解決に動いた。日本では問題解決を銀行任せにし、公的資金注入に8年かかって、その間は金融システムは「仮死状態」だったが、アメリカの対応は早かった。日本では量的緩和の前にデフレが発生していたが、アメリカでは発生していないので、システムはまだ正常である。
3.中央銀行の立場:日銀は対応が後手後手に回ってしまい、量的緩和の効果について「期待感」を醸成することが出来なかった。FRBは対照的に、市場に対してのメッセージ発信による期待感醸成を、非常に重視している。
これらの議論には一理ある部分もありますが、バブルの程度が違うと量的緩和の効果も違うという点には、少々疑問が残るのと、FRBに信頼感があるか(システムが正常か)どうかは、世の中に蔓延するハイパーインフレへの恐怖心を見る限りでは、何とも言えない気がします。
・・・色々書いて来ましたが、財政政策にせよ金融政策にせよ、アメリカ政府による景気刺激策の継続が必要であることだけは、間違いない気がします。それに対して、アメリカ議会において、緊縮財政派(主に共和党右派)が、11月の中間選挙後にどこまで力を持つかについては、注目が必要な点であると思います。
日本への期待
ギリシャ危機を受けたユーロ安に、アメリカの金融緩和によるドル安の進行が重なって、日本経済を支える輸出産業が大変苦しんでいることは、今更言うまでもないと思います。ドル安の流れは、上で書いて来た通り、世界経済のリバランスという大きな流れの中で発生していることであり、一国の政府の介入などで止められるものではないように見受けられます。
仮に、今後世界が本格的に、需要のリバランス(アメリカへの一方的輸出という構造の是正)に向けて動くのだとすると、これは1990年前後に始まったグローバル化経済への転換と同じか、それ以上の変化となるかもしれません。その変化は主に米中間で起こる話なのかもしれませんが、アメリカ経済の回復見通しが立たない中、変化はよりグローバルなものになる可能性も、十分にある気がします。
そうなると日本は、長期的に円高圧力に晒される恐れがあり、現行の輸出依存型の経済体制の維持は難しくなってしまう気がします。そうなると、戦後ずっと続いてきた「輸出依存の一本足打法」を修正して、内需主導型経済へと構造変化をすることが必要となってくるかもしれません。
内需関連産業には、いわゆる規制産業が多く含まれ、金融やメディアなどは、その代表例と言えるかもしれません。これらの産業の規制緩和や改革の難しさは、郵政民営化のドタバタからも容易に見てとれますが、そこは今後50年の日本の経済体制を見越して、政治家や経営者の「英断」が期待されるところです。
また熾烈な国際競争に晒されている製造業の強化についても、内需拡大と同様に、重要課題である気がします。そのためには経団連が求めているような法人税の減税や、国内雇用の柔軟性を最大限確保するための派遣法の継続、世界的競争に勝ち残るためのM&Aや業界統合の促進(公正取引委員会の改革)、そして事業の一層の海外移転などが、求められるかもしれません。
・・・韓国で開催されているG20では、世界経済のリバランスについて、激しい論戦が繰り広げられることが予想されます。既にアメリカは、世界経済をテーマとする初日の会合で、「経常収支の黒字(赤字)を2015年までにGDP比で4%以内に制限する」と提案し、輸出国に圧力をかけていると、各メディアが報じています。
G20においても、論争の主役は、世界一・二の経済大国であるアメリカと中国になるでしょうが、第三位の日本には、アメリカ経済の回復や中国人民元の切り上げといった他力本願による問題解決ではなく、率先して内需拡大に本気で取り組む姿勢を示すことで、世界経済への貢献と存在感をアピールすることを、期待したいところです。
by harry_g
| 2010-10-23 05:08
| 世界経済・市場トレンド