ウォールストリート改革法は「落第点」? |
最近、指導力不足により人気が急落しているオバマ大統領は、この法律は「足元の景気低迷の原因となった、金融危機の発生を妨げる、大きなステップになる」として、「長らくの間、金融業界は、時代遅れで強制力のないルールによって監督され、それが経済全体を危機に陥れるようなリスクテイクを引き起こして来た。アメリカ国民は今後、ウォールストリートの間違いのつけを払う必要が一切なくなる」と、法律実現の成果を強調しました。
しかし、彼を取り囲んでいる人の大半は民主党議員であり、共和党からの賛同者は極めて少なく、法律に批判的な業界関係者も、Citigroupのトップ以外は、その場に顔を見せなかったそうです。
また、金融業界のあらゆる事業範囲を対象としている同法は、具体的な規制作りの詳細を官僚に任せる形で先送りしているそうで、その数は数百項目に上るそうです。よって今後、担当官庁が、よほどしっかりとした意志とコミットメントを持って事に当たらない限り、法律の効果は限定的になる恐れがあります。そんな「骨抜き感」こそが、アメリカ国民の関心度を低めている原因なのかもしれません。
そんなウォールストリート改革法について、当日のWSJが、経済界の著名人による「採点」を載せていました。アメリカで名の知れた専門家の「生の評価」が聞けるという点は、なかなか興味深かったです。以下に抄訳で、内容をいくつか紹介してみます。(全部で12人が評価を寄せていましたが、全員は取り上げないので、記事に載っていた順番も明記します。)
出展元(WSJ):「Obama Signs Financial-Regulation Bill(オバマ大統領、金融規制法案に署名)」
1.Henry Paulson元財務長官
採点:不完全
システミックリスクを監督する官庁の創設、Fedの大手金融機関に対する監督権限の強化、金融機関破綻のプロセスを管理する権利の設定などは、重要かつ大きなな前進であり、デリバティブ規制の改善も非常にポジティブである。
しかしFannie MaeやFreddie Maeと言った住宅金融機関について一切取り上げられていない点は評価できず、また、実際の規制がどのように適用されるかについても、不確実性が多すぎる。
同法は金融危機の再発を防げるか:
いくつかの規制や権限は、金融危機のインパクトを和らげたり管理しやすくしたりする効果はあるだろう。しかし、10年以内の危機再発は「避けられない」。
厳しい資本規制は景気にマイナスという人がいるが、それは短視眼的過ぎる。資本と流動性の適切な規制は、経済の過熱を避け、安定成長の実現に寄与することが期待される。しかし規制当局も万能ではなく、金融機関自身の規律が必須である。
その規律を実現するためには、どの金融機関も「Too Big To Fail」ではないことを、はっきり認識する必要がある。同法だけでその目的は達成できず、実際に危機が発生した際、権限を得ることが出来る立場にある人(規制当局)がどう行動するか次第である。
訳注:
ブッシュ政権の財務長官で、Goldman Sachsの元CEOでもあるPaulson氏は、Lehman Brothersの破綻を防げずに金融危機を引き起こしてしまったことで、後にアメリカ議会からも「(危機を予見して大もうけしたヘッジファンドマネージャーで、Hank Paulson財務長官と同じ苗字の)Paulson氏が財務長官だったら良かった」などという批判を受けて来ました。彼のコメントには、自ら危機対応に当たって苦労した経験からか、「完璧な規制など存在せず、その場の対応次第」(=そんな簡単じゃない)という感情が見て取れる気がします。
2.William Isaac、元FDIC会長
採点:D
同法は金融危機を発生させた重要な要因、と言うより「いかなる」要因も、適切に取り扱っていない。この法案があっても2008年の危機は起こっただろうし、今後もまた起こるだろう。
同法によって一番大きく変わることは何か:
内容が無さすぎて、大きな変化が起こることを期待できない。
同法は金融危機の再発を防げるか:
防げないだろうし、次の金融危機は、より深刻なものとなるだろう。Fedに金融危機対応を任せるそうだが、前回の危機対応を見れば、次もまたお粗末な結果となることは明らかである。Fedには組織として、その経験がないし、人材もいない。危機を適切に処理できるような、政治的独立性も持ち合わせていない。
訳注:
「大恐慌以来の最悪の時代」と言われた、1980年代当時のS&L金融危機の最中に、預金保険機構(FDIC)のトップとして銀行業界の安定化に大いに貢献したとされる同氏は、非常に厳しいコメントをしています。CNBCやWSJ、Forbesなどの金融メディアで、度々規制についての考えを表明している同氏によって、今回の法律は相当不完全なものと映っているようです。
3.Harvey Pitt、元SEC長官
採点:「F」(失格)、良くて「I」(不完全)
既に大きく壊れている規制システムを、更に悪化させると思われる。この法律は何も修復せず、何も解決しないだろうに、約束だけはやたらと大げさである。
同法によって一番大きく変わることは何か:
弁護士とコンサルタントの仕事が爆発的に増加すること。この法律はむしろ、「2010年弁護士・コンサルタント完全雇用法」と呼ぶべきかもしれない。目指すべき改革は、法律の中にお粗末な文言でしか盛り込まれておらず、法律の抜け穴はあまりに大きすぎて、トラックでも通過できるだろう。あり得るとすれば、健全な競争環境を阻害し、優秀な人材をウォールストリートから遠ざけ、(規制対象にない)米国以外の金融機関を強化することか。
同法は金融危機の再発を防げるか:
簡単だ。「全く無理」である。金融危機への対応が後手に回ったのは、新しい市場、金融商品などの情報の透明性が無かったためであり、また、規制当局による十分な監視とリスク評価が行われていなかったためである。そうした問題について、この法律では全く触れていない。オバマ政権や議会が何と言おうと、この法律は「何も解決しない」。
訳注:
2001年から2003年までSEC(米証券取引委員会)を率いた同氏は、911後に金融市場を建て直したと評価されていましたが、その後エンロン事件の発生を防げなかったとの批判を受けた人物です。ウォールストリートを監督する立場にあった人から、このような厳しい批判が続く辺り、この法案のアメリカでの評価を如実に表していると言えるかもしれません。
4.Gary Stern、元ミネアポリス連邦銀行総裁
評価:B
同法は、長期的金融システムの安定に寄与するような手立てやインセンティブをもたらすのに必要と思われる、問題点や行動について、しっかりと取り上げている。しかし、思惑通りに事が運ぶとは限らない。
同法によって一番大きく変わることは何か:
銀行、証券、そしてその無担保債権者達にとっては、リスクが過去20年間よりも「より適正に」値付けされる(訳注:リスクを取りにくくなる)世界になるだろう。銀行は商売がしにくくなったと感じるかもしれないが、少なくとも罰則やルールは明確になり、「人生がシンプル」になるかもしれない。
同法は金融危機の再発を防げるか:
適切に運用されれば、金融危機の発生可能性と、その深さの両方を、減らすことが出来るだろう。しかし危機の発生を完全に妨げることは出来ない。肝となるのは、「今後も同じ趣旨の法案作成が続くのか、同法はしっかり施行されるのか」という点である。大物議員10人に聞いたら、彼ら・彼女らは物事の優先順位に合意できるのだろうか?誰にも分からない。
訳注:
金融危機の発生した2008年にもミネアポリス連銀の総裁を務めていた同氏は、Paul Volcker氏と比較的近い存在と言えると思います。よって同氏の見解は、以前に取り上げた人たちよりポジティブなものですが、金融危機の発生事態を妨げることは出来ない、と明言している部分は、以前の人たちと共通しています。
5.Mark Zandi、Moody’s Analyticsのチーフエコノミスト
採点:B+
問題の要点の多くを突いているが、Fannie MaeとFreddie Macについて取り上げていない点、また銀行に対する課税強化を扱っていない点が不完全である。
同法によって一番大きく変わることは何か:
この法案がなかったら、デリバティブズは金融システムの中で、更に大きな地位を占めることになっていただろう。消費者保護の官庁も、潜在的に極めて大きなインパクトを与える可能性がある。
同法は金融危機の再発を防げるか:
危機の発生事態を妨げることは出来ないだろうが、その可能性は低くなるだろうし、危機が発生した際にも、そのダメージが小さくなることが期待される。破綻リスクのある金融機関を取り扱えることと、システミックリスクの評価ルールが明確化されることが大きい。
訳注:
住宅ローン危機に際して、AAAの甘い評価を受けていた証券化商品が一斉にデフォルトしたことが批判される格付け機関大手、Moody’sのチーフエコノミストは、同法についても比較的「甘い採点」をしているようです。しかし同氏は、証券化の大本とも言えるFannieなどの機関の改革の問題は避けて通れない、とコメントしており、これはオバマ政権にとって、今後の大きな課題と言える気がします。
(金融危機の発生の原因については、「金融危機の真犯人?」というエントリーの中でも取り上げましたので、よかったらご参照下さい。)
8.Nouriel Roubini
Roubini Global会長、ニューヨーク大学の経済学教授
評価:C+
同法によって一番大きく変わることは何か:
この法案は、金融危機発生の直接的な原因であり、現在も経済システムにクレジット(信用資金)が十分に行き渡っていない原因である「証券化」破綻の問題について、一切触れていない。このまま証券化の下火状態が続いてしまったら、金融業界による信用創造は、なかなか回復しないだろう。
同法は金融危機の再発を防げるか:
曖昧な法律は、むしろ次の金融危機の原因の種植えをしてしまっている。問題なのは、「Too Big To Fail」の問題を適切に扱っていないこと、Volcker Ruleが大幅に弱められてしまったこと、デリバティブ取引規制が不十分であること、ウォールストリートの過大な報酬の問題が取り上げられなかったこと、そしてFannie MaeとFreddie Macが改革されなかったことである。
訳注:
NYUのRoubini教授は、経済官僚・アドバイザーとして、IMF、クリントン政権、現財務長官であるGeithner氏が長官を勤めた時代のNY連銀などで仕えた経験を有しています。
2006年にIMFに対して「米国は、一世一代の住宅ローン危機とオイルショックに向かって突き進んでおり、その結果は消費者信頼感の下落と深刻な景気低迷である」と警告したことで、NYTより「Dr. Doom」などと言われた人物です。
今でもメディアに登場するたびに、危機を警告している印象がありますが、彼の指摘が鋭いことに疑義を差し挟む人は多くないと言える気がします。
9.Bill Gross、PIMCO創業者兼共同CIO(最高投資責任者)
評価:D+
同法によって一番大きく変わることは何か:
ワシントンは今でもウォールストリートに支配されている。Paul Volcker氏に「独裁者的」権力を与えて、改革案を作成させるべきであったのに、結局は金融業界のロビイストによって、必要な改革は薄められてしまった。
訳注:
世界最大の投資信託であるPIMCOのトータルリターンファンドを運用し、債券投資界最大の大物であるBill Gross氏も、同法案については批判的のようです。しかしその立場はRoubini氏と共通して、「規制が不十分である」といったものであり、同じウォールストリートの一派と看做されがちなバイサイド(投資運用業界)には、セルサイド(銀行・証券業界)に対して厳しい見方をする人も多くいることが見て取れるかもしれません。
・・・以上、色々な採点評価を紹介して来ましたが、平均としては「合格点以下」という評価であると言える気がします。
共通している指摘としては、「金融危機の原因を適切に捉えていない」、「今後の実行次第なので、不確実要素が多すぎる」、「金融危機はどの道防ぐことは出来ない」、と言ったことがあるかもしれません。特に、証券化の問題について解決策を見出していない点には、色々なところから批判の声が聞かます。
オバマ政権は今後の課題として、Fannie MaeとFreddie Macの改革を明確に挙げていますが、大統領の人気低迷によって、今年の中間選挙で共和党に敗れることが予想されている民主党政権が、今後どの程度、意義深い改革を実行できるか、不透明である気がします。
またアメリカ政府は、主要先進国にも同様の規制を導入することを促していますが、Paul Volcker氏なども、外国にアメリカの決まりを押し付けるのは困難だろうと発言しているようで、そうなると外資系銀行と米系金融機関の競争条件がどうなるのかも、注目されるところです。
金融危機後の様々な改革は、米英欧でかなりの開きがあり、各国地域の難しい政治情勢や、多極化が進む世界の傾向を、如実に表していると言えるかもしれません。しかしアメリカにおいて、金融業界が、エネルギー、航空宇宙(軍需)産業と並んで、主力産業の柱であり続けること自体、大きな変化はないような気がします。