2010年 01月 23日
ウォールストリートへの「宣戦布告」の衝撃 |
2010年1月21日の朝、ウォールストリートに衝撃が走りました。アメリカのオバマ大統領が、FTが「1930年代に導入された(銀行と証券を完全分離する)グラススティーガル法以来で最も厳しい」と表現した、業界規制案を発表した為です。市場は大きく反応し、当日、翌日と、ニューヨーク株式市場は大きく値下がりしました。
その規制案の骨子を簡単に言うと、「預金業務を行う銀行が自己資本による投資を行う事を禁止する」というものです。この「オバマ案」(実際は元FRB議長でオバマ政権で経済復興アドバイザリーボードの会長を務めるPaul Volcker氏の発案だとして「Volcker Plan」と呼んでいるようですが)が、仮に議会を通過して実現すると、ウォールストリートの中核企業の事実上の解体に、発展するかもしれません。
(写真は左から、月初に金融危機の原因解明に関する議会公聴会で証言台に立つLloyd Blankfein(GS)、 James Dimon(JPM)、 John Mack(MS)、Brian Moynihan(BofA)の各CEO)
提案された規制の内容
今回提示された規制案の具体的内容は、連邦政府の保護を受ける預金業務を営む金融機関(つまり銀行)が、自己資本を用いた証券売買(プロップトレーディング)、ヘッジファンドの保有、プライベートエクイティファンドの保有をすることを禁止し、トレーディング業務は対顧サービスに限定する、と言うものです。と同時に、銀行が「大きすぎて潰せない」ことのないよう、一社で全米の預金残高の10%以上を保有することも、禁ずるそうです。
これは大手金融機関に、事実上、銀行業を営むかリスクの高い自己投資事業を営むか、どちらかを選択することを迫るものです。Lehman破綻の際、当時業界第三位の投資銀行であったMerrill Lynchを救済するためにBank of Americaに買収を迫ったとされる政府が、今度はその事業を手放せと言っているように見えるこの規制案に、業界関係者は大変驚きました。
政権関係者は、今回の提案はグラススティーガル法の復活ではない、現存する企業にダウンサイジングを迫るものではない、などと言っているそうですが、事実上、商業銀行から、積極的に自己投資を行う現代版の投資銀行(証券会社)を分離させ、また最大手銀には事業売却を迫るものであるように見えます。
以前のエントリーでも書いた通り、イギリスで銀行解体論を主張する学者達は、大手金融機関を「公共サービス色の強いユーティリティバンク」と、「投機的事業を営む投資銀行(証券会社)」に分離するべきだと主張しており、更に、各社の破綻がシステム全体を危機に陥れることのないよう、規模についても規制すべきだという意見を出しています。
そのようなラディカルな案は、国民が金融業界に怒りの声を上げているイギリスや、元々アンチ・アングロサクソンで結束しているように見える仏・独でも、実現に至っていません。それが、つい最近まで最もウォールストリート寄りと考えられていたアメリカの規制案は、イギリスで議論されている最も厳しい規制のアイデアに、概ね沿った内容であるように見えます。
投資銀行の自己投資事業
歴史的に投資銀行(証券会社)は、対顧サービスの一環として、証券売買の仲介業務を行うと同時に、それを一歩進めた形で、自己ポジションのトレーディング業務を行って、収益を上げて来ました。顧客の売買情報が入手できる証券会社において、そのような自己売買を行うことにはグレーな部分もあるのですが、その二つの業務はしっかり分離されているとして、今まで問題になったことは無かった気がします。
しかし、経営者が許すバランスシートの許容範囲内でしか売買や投資が出来ないことを嫌ったトレーダー達は、徐々に独立し、外部の投資家から資金を募って、自己売買業務をするようになりました。そのような形で運用を行う会社はヘッジファンド業界の大きな一角を占めており、98年に破綻したLTCMはSalomon Brothers(現Citigroup)からスピンオフした部隊であり、Och ZiffやTPG Axonと言った現存の大手ヘッジファンドは、Goldman Sachsの社内ヘッジファンド部門の出身者が独立して運用しています。
また、投資銀行でM&Aの仲介業務に従事していた人達も、一部が独立し、外部から資金を募ることで、自らの資本を投じて企業買売(バイアウト)を行ってキャピタルゲインを狙う、レバレッジド・バイアウト(LBO)を始めました。LBOは、80年代にはジャンクボンドブームによって栄え、00年代にはクレジットバブルによって大変な興隆を見せていたことは、記憶に新しいところかと思います。
このような事業が大きな利益を上げていることを羨んでか、投資銀行は、自らの顧客であるはずのヘッジファンドや、LBOファンド、不動産投資ファンドと言ったプライベートエクイティファンドを、買収したり自社内で立ち上げるなどして、徐々に自己投資を拡大して行きました。そのような動向に、LBOを発明したと言われる大手ファンドKKRの創業者が苦言を呈したという話を、過去に書いたことがあると思います。
こうした自己投資には、証券会社が元々行っていた仲介業務とは全く異なる、大きなリスクが伴います。その為ヘッジファンドやPEファンドの投資家は、ハイリスクを理解した機関投資家と、一部の富裕層に限られており、欧米ではヘッジファンドに投資していることは、社会的ステータスのようにさえ捉えられています。
それに対して大手投資銀行は、巨大金融機関として、低い資本コストで多額の資金を調達することが出来ます。そうして調達した資金を、不動産を含む自己投資に回すことで、巨額の利益を上げていたと言われており、今回もそうした事実に、批判の矛先が向けられているようです。
Lehman Brothersの破綻で完全に悪役になったDick Fuld元CEOは、自己投資を拡大させて収益を急拡大させたことで、2006年に投資運用の業界誌IIから「ベストCEO」に表彰され、社内向けには「それでもLehmanは、Goldmanに比べれば遥かに保守的で、何かあったら最初につぶれるのはGoldmanだ」と言っていました。
同氏らが80年代にLehmanから権力闘争で追い出したと言われる、Pete Peterson(当時会長)とDavid Schwarzmanの両氏が、今では最大手のLBOファンドとなったBlackstoneを立上げ、2007年のバブルピーク直前にIPOで持分を売り抜けたことは、皮肉と言えるかもしれません。
規制案の背景
オバマ大統領が今回の規制の発表にあたって、「アメリカの納税者が、二度と『大きすぎて潰せない』金融機関に人質に取られないようにする」と強く主張したことからも分かる通り、この規制案は、破綻の恐れがある際には政府(税金)による救済を受ける大手金融機関がギャンブル的な取引に手を出し、そこで大金を稼いで従業員に破格のボーナスを支払うというのはおかしい、という世論を背景としています。
この論調は、金融危機後に世界中で噴出しているものであることは、このブログでも何度も取り上げて来ましたが、オバマ大統領は、アメリカ国内ではウォールストリートに甘すぎると批判されており、支持率もFTのグラフにあるように、低下の一途をたどっています。最近では、民主党の牙城であったマサチューセッツ州での、ケネディ上院議員の死去に伴う補選で議席を失い、自らの最重要法案である医療保険改革法の実現さえ、危ぶまれています。
そのような中、元来から厳しい規制を主張していたVolcker元FRB議長の名声とワシントンでの声の大きさを利用して、国民からの支持率を取り戻すために大きな一手に出たのが、今回の劇的なウォールストリート規制案だと言えるかもしれません。同様に業界寄りと民主党議員から厳しく批判されていた元NY連銀総裁のガイトナー財務長官も、同案には(一応)賛同しているそうです。
他の有力者としては、下院金融サービス委員会のフランク委員長も、銀行が証券事業の売却に3年から5年の時間をかけてよければ、同案に賛成すると言っているそうです。また共和党議員も、当初の反応は、その明らかな政治的意図からか冷淡であったものの、一般国民からの支持の強さを受けてか、全面的な反対はしていないようです。
一部の共和党議員は「問題は『大きすぎて潰せない』だけではなく、『複雑すぎて管理できない』ことである」などと訴えているようで、このような流れだけを見ていると、この規制案は、議会を通過して、実現する可能性は十分にある気がします。FTが指摘していた通り、詳細の定義次第でどうにでもなってしまうような内容ではありますが、「荒唐無稽」と片付けることは出来ないように思います。
金融メディアの反応
当然ながら欧米の主要金融メディアは、トップ記事でこのニュースを大きく報じました。その中で一番明確に反対意見を出しているのが、イギリスのFinancial Timesです。同紙は「Obama in declaration of war on Wall Street(オバマ大統領、ウォールストリートに宣戦布告)」というコラム記事を掲載し、関連する複数の記事やコラムの中で、様々な批判を繰り広げています。
それらの記事でFTは、同規制案の中で最も重要なのは「政治的怒りを煽るような」巨額の利益をもたらしていた「顧客サービスと関係ない自己トレーディングを禁止するとしている部分」だとし、規制発表のタイミングについて、上院補選で負け、Goldmanが記録的利益を発表した直後とするとは、「オバマ大統領らしからぬ、極めて政治的判断である」と批判しています。
またオバマ大統領が2009年12月に発表していた、金融機関救済コストを回収するための$90bn(約8兆円)の特別税を取り上げ、そちらはまだ正当化できる合理性があるものの、今回の規制案はあまりにラディカルな政策のシフトであり、「誤りである」と断じています。
その理由は「金融規制のゴールは、金融機関の破綻でシステム全体が危機に陥らないようにすることなのに、今回の提案は完全に行き過ぎ」だからだとし、リスクヘッジの為のトレーディングを例に挙げて、金融機関の業務内容の線引きは困難であるなどと指摘して、「導入すべき最も適切な規制は、リスクに見合った資本を積ませることだ」と主張しています。
確かに今まで世界中で行われてきた議論の経緯を考えても、最も効果的な規制は、自己資本比率の向上なのかもしれません。同時にバランスシートの情報を透明化することで、リスク量をより正確に把握し、また経営者の給与体系も、より投資家らステイクホルダーのそれと連動させるようにすることで、短期利益追求型の経営を抑止する方法も、効果的と考えられます。
しかしそれだけでは、「大きすぎて潰せない」問題やモラルハザードの問題の解決にはなりません。また、白黒はっきりつけようとすると、預金は銀行、仲介は証券、投資はファンドと言うように、別々の主体がやった方がわかりやすいと言うことになります。
そうなると、これは本格的な規制強化という事になり、経済界の一部が指摘しているように、政府による過剰介入との批判を免れ得ない気がします。また、仮にアメリカだけこの規制を導入した場合、自国の金融産業の大幅な弱体化によって、回復途上にあった経済に、暗雲が垂れ込めてくるかもしれません。
業績への影響
今回の規制が金融各社の業績に及ぼす影響についてWSJでは、「New Bank Rules Sink Stocks(新銀行規制で株価暴落)」という1月21日の記事の中で、具体的に各社がどれくらいプロップトレーディングに依存しているかというテーブルを載せ、影響は大きくないかもしれない、と言ったコメントを出していました。
しかし売上規模が小さくとも、プロップトレーディングは非常に利益の大きいビジネスとして知られており、影響は小さくないように思われます。そう思っていたら、翌日のBloombergがその記事の中で、アナリストの話を引用して、具体的にどの会社がどの程度の影響を受け得るかについて書いていました。
今回の規制で最も影響が深刻と思われるJP Morgan所属の銀行株アナリストによると、Goldman Sachs、Morgan Stanley、Credit Suisse、UBS、Deutsche Bankの5社だけで、来年の売上が$13 billion(約1.2兆円)減少する恐れがあるそうです。
その中で最も影響が大きいと思われるのがGoldmanで、別のアナリストの予想によると、$5bn(約4500億円)程度の影響が出る可能性があるそうです。また英銀の中では、Lehmanの米国部門を買収し、トレーディング業務への依存度の高いBarclays Capitalが最も打撃を受けると思われるそうで、「そもそもLehmanを買収した目的は、自己投資部門の取得にあった」と書いていました。
それに対してFTは「Obama and US Banks(オバマと米銀)」という記事の中で、今回の規制案の影響は「残念ながら誰にも分からない」としています。その理由は、今回発表された規制案の内容が極めて「あいまい」であり、立法過程で大幅な修正が行われることが想定されるためです。
例えば、大手銀JP Morganにおける自己資本トレーディングから上がる売上は、同社売上の全体の1%に満たないが、対顧トレーディングもJPのバランスシートを一部利用していることを考えると、どこまでが自己取引で、どこまでが対顧サービスなのかの線引きは、極めて困難である、としています。また、ヘッジファンドの保有規制についても、資産運用部門がヘッジの為の空売りを行った場合はどうするのかなど、詳細の定義によって規制の意味合いは大きく変わると指摘しています。
私の周辺も、今回の規制案は「明らかな人気取り」であり、今までオバマの提案の多くがそうであったように、具体的作業になったら骨抜きになって、それをオバマは看過するだろう、という意見が多いように思います。投資銀行から見ると、顧客かつ競合の立場にあるヘッジファンド業界は、投資銀行が自己投資が出来なくなればプラスであるはずですが、現時点では厳しい規制の実現には、懐疑的なのかもしれません。
また、各メディアが同法案に対する懐疑的見解として紹介しているように、GoldmanやMorgan Stanleyは、単純にLehman破綻後に得た「銀行」としてのステータスを捨てて、投資銀行に戻る道を選択する可能性が高いように思います。そうなれば、米国政府はまた規制枠組みの制定に、苦労することになるかもしれません。
しかしJP Morgan、Citigroup、Bank of Americaのような、いわゆる商業銀行系の大手金融機関については、銀行業と証券業の間での取捨選択を迫られることになり、今回の規制は、まさにそうした「自分たちの気に入らない企業」を事実上狙い打ちする結果になる、とFTは批判しています。仮に各社が銀行を捨てて証券になると宣言し、それらの企業がまた合併などで巨大化したらどうなるのかなどと考えると、本当に現時点では「宣戦布告」程度のインパクトと考えるのが、妥当なのかもしれません。
バイサイドからの反応
広義のウォールストリート(金融業界関係者)として語られることの多いバイサイド(投資家サイド)では、実は投資銀行の過剰な業務拡大やインセンティブシステムなどについて、以前より批判の声が上がっていました。
先ほど大手LBOファンドのKKRが、資金調達やM&Aの仲介サービスを自社に提供する存在であるはずの投資銀行が、自社内ファンドを持って投資案件のビッドにおいて競合となりつつあることを批判した話に触れましたが、投資信託やヘッジファンド業界でも、証券会社が対顧サービスのトレーディングとプロップトレーディングの間の情報隔壁(チャイニーズウォール)を守っておらず、自分たちのオーダーをフロントランしていると、批判する向きもあります。
また、Bloombergの1月22日の記事「Bank Failures Should Destroy CEOs(銀行破たんはCEOを破滅させるべき)」によると、世界で最も高名な株式投資家で、大手銀Wells FargoやGoldman Sachsの大株主でもあるWarren Buffett氏は、大銀行の経営者のインセンティブストラクチャーは大幅な変更が必要だ、と主張しているそうです。
常に正論を述べるBuffett氏らしい主張ですが、「銀行が破綻した時に、500億円の報酬が50億円になるのでは、全く懲罰的と言えない」、「銀行が破綻した際には、CEOや家族の資産は没収され、経済的に『破滅に追いやられる』べきだ」、「GMでレイオフされる従業員と、何ら扱いに違いがある理由があろうか」などと、かなりドラスティックなコメントを発したそうです。
銀行の大株主でもある同氏は、昨年末に発表された、公的資金で救済された銀行への特別課税については「根拠不明」と反対していましたが、今回のオバマ規制については、まだ意見を留保しているようです。かつて破綻しかかったSalomon Brothersを救済し、2008年にはGoldman Sachsに巨額の資金を投じたBuffett氏は、大統領選ではオバマを支持しており、今後の発言が注目されます。
また、ちょっと記事を見つけることが出来ませんでしたが、Lehman Brothersが破綻する前に、同社のCFOと舌戦を繰り広げて名を上げた、ヘッジファンドGreenlight CapitalのDavid Einhorn氏も、現在のウォールストリートの仕組みは完全なモラルハザードに陥っており、大手投資銀行や住宅ローン金融会社は解体されるべきであると言った主張を、以前にしていたように思います。
この度の規制案に対しての、バイサイドの「コンセンサス」を集約することは極めて困難ですが、上記のようにウォールストリートに批判的意見もあるということは、特筆に値すると思います。特に、投資銀行以上に批判の矛先に立たされることが多いヘッジファンド業界は、昨年の議会公聴会でGeorge Soros氏を筆頭とする大手ファンドの経営者達が「自分たちは公的救済を一切受けておらず、危機を発生させたのは規制されているはずだった大手金融機関だ」と主張しており、どちらかと言うとウォールストリートに批判的である気がします。
まとめ
今回の規制案は非常にドラスティックな内容であり、実現すればウォールストリートの業界図は、大きく変化してしまうかもしれません。
今のところ、規制案に対する反論の多くは、「特定企業の狙いうちである」「金融システムの安定化に寄与しない」「金融危機を引き起こしたのは自己投資部門ではない」と言ったようなもので、「モラルハザードを抱えた高額報酬業界への国民批判」と言う政治的意図に対して、上手く対応できていないように見えます。
特に、「金融危機の発生に自己売買部門は関係ない」と言う主張については、今ではLehman Brothersの破綻ばかりに注目が集まっているものの、最初に危機を引き起こしたのが、当時第五位の投資銀行であったBear Stearnsが運営していた社内ヘッジファンドであったことを考えると、フェアとは言えない気がします。
とは言え「規制案は具体性に欠ける」「事業の区分けは事実上不可能である」と言った現場からの批判は至極尤もであり、予想されるウォールストリートからの強力な反発も加わって、規制の実現には高いハードルがあると言える気がします。今後も様々な業界関係者から、色々な意見が出されることが予想されますので、気になるものがあったら取り上げたいと思います。
その規制案の骨子を簡単に言うと、「預金業務を行う銀行が自己資本による投資を行う事を禁止する」というものです。この「オバマ案」(実際は元FRB議長でオバマ政権で経済復興アドバイザリーボードの会長を務めるPaul Volcker氏の発案だとして「Volcker Plan」と呼んでいるようですが)が、仮に議会を通過して実現すると、ウォールストリートの中核企業の事実上の解体に、発展するかもしれません。
提案された規制の内容
今回提示された規制案の具体的内容は、連邦政府の保護を受ける預金業務を営む金融機関(つまり銀行)が、自己資本を用いた証券売買(プロップトレーディング)、ヘッジファンドの保有、プライベートエクイティファンドの保有をすることを禁止し、トレーディング業務は対顧サービスに限定する、と言うものです。と同時に、銀行が「大きすぎて潰せない」ことのないよう、一社で全米の預金残高の10%以上を保有することも、禁ずるそうです。
これは大手金融機関に、事実上、銀行業を営むかリスクの高い自己投資事業を営むか、どちらかを選択することを迫るものです。Lehman破綻の際、当時業界第三位の投資銀行であったMerrill Lynchを救済するためにBank of Americaに買収を迫ったとされる政府が、今度はその事業を手放せと言っているように見えるこの規制案に、業界関係者は大変驚きました。
政権関係者は、今回の提案はグラススティーガル法の復活ではない、現存する企業にダウンサイジングを迫るものではない、などと言っているそうですが、事実上、商業銀行から、積極的に自己投資を行う現代版の投資銀行(証券会社)を分離させ、また最大手銀には事業売却を迫るものであるように見えます。
以前のエントリーでも書いた通り、イギリスで銀行解体論を主張する学者達は、大手金融機関を「公共サービス色の強いユーティリティバンク」と、「投機的事業を営む投資銀行(証券会社)」に分離するべきだと主張しており、更に、各社の破綻がシステム全体を危機に陥れることのないよう、規模についても規制すべきだという意見を出しています。
そのようなラディカルな案は、国民が金融業界に怒りの声を上げているイギリスや、元々アンチ・アングロサクソンで結束しているように見える仏・独でも、実現に至っていません。それが、つい最近まで最もウォールストリート寄りと考えられていたアメリカの規制案は、イギリスで議論されている最も厳しい規制のアイデアに、概ね沿った内容であるように見えます。
投資銀行の自己投資事業
歴史的に投資銀行(証券会社)は、対顧サービスの一環として、証券売買の仲介業務を行うと同時に、それを一歩進めた形で、自己ポジションのトレーディング業務を行って、収益を上げて来ました。顧客の売買情報が入手できる証券会社において、そのような自己売買を行うことにはグレーな部分もあるのですが、その二つの業務はしっかり分離されているとして、今まで問題になったことは無かった気がします。
しかし、経営者が許すバランスシートの許容範囲内でしか売買や投資が出来ないことを嫌ったトレーダー達は、徐々に独立し、外部の投資家から資金を募って、自己売買業務をするようになりました。そのような形で運用を行う会社はヘッジファンド業界の大きな一角を占めており、98年に破綻したLTCMはSalomon Brothers(現Citigroup)からスピンオフした部隊であり、Och ZiffやTPG Axonと言った現存の大手ヘッジファンドは、Goldman Sachsの社内ヘッジファンド部門の出身者が独立して運用しています。
また、投資銀行でM&Aの仲介業務に従事していた人達も、一部が独立し、外部から資金を募ることで、自らの資本を投じて企業買売(バイアウト)を行ってキャピタルゲインを狙う、レバレッジド・バイアウト(LBO)を始めました。LBOは、80年代にはジャンクボンドブームによって栄え、00年代にはクレジットバブルによって大変な興隆を見せていたことは、記憶に新しいところかと思います。
このような事業が大きな利益を上げていることを羨んでか、投資銀行は、自らの顧客であるはずのヘッジファンドや、LBOファンド、不動産投資ファンドと言ったプライベートエクイティファンドを、買収したり自社内で立ち上げるなどして、徐々に自己投資を拡大して行きました。そのような動向に、LBOを発明したと言われる大手ファンドKKRの創業者が苦言を呈したという話を、過去に書いたことがあると思います。
こうした自己投資には、証券会社が元々行っていた仲介業務とは全く異なる、大きなリスクが伴います。その為ヘッジファンドやPEファンドの投資家は、ハイリスクを理解した機関投資家と、一部の富裕層に限られており、欧米ではヘッジファンドに投資していることは、社会的ステータスのようにさえ捉えられています。
それに対して大手投資銀行は、巨大金融機関として、低い資本コストで多額の資金を調達することが出来ます。そうして調達した資金を、不動産を含む自己投資に回すことで、巨額の利益を上げていたと言われており、今回もそうした事実に、批判の矛先が向けられているようです。
Lehman Brothersの破綻で完全に悪役になったDick Fuld元CEOは、自己投資を拡大させて収益を急拡大させたことで、2006年に投資運用の業界誌IIから「ベストCEO」に表彰され、社内向けには「それでもLehmanは、Goldmanに比べれば遥かに保守的で、何かあったら最初につぶれるのはGoldmanだ」と言っていました。
同氏らが80年代にLehmanから権力闘争で追い出したと言われる、Pete Peterson(当時会長)とDavid Schwarzmanの両氏が、今では最大手のLBOファンドとなったBlackstoneを立上げ、2007年のバブルピーク直前にIPOで持分を売り抜けたことは、皮肉と言えるかもしれません。
規制案の背景
オバマ大統領が今回の規制の発表にあたって、「アメリカの納税者が、二度と『大きすぎて潰せない』金融機関に人質に取られないようにする」と強く主張したことからも分かる通り、この規制案は、破綻の恐れがある際には政府(税金)による救済を受ける大手金融機関がギャンブル的な取引に手を出し、そこで大金を稼いで従業員に破格のボーナスを支払うというのはおかしい、という世論を背景としています。
この論調は、金融危機後に世界中で噴出しているものであることは、このブログでも何度も取り上げて来ましたが、オバマ大統領は、アメリカ国内ではウォールストリートに甘すぎると批判されており、支持率もFTのグラフにあるように、低下の一途をたどっています。最近では、民主党の牙城であったマサチューセッツ州での、ケネディ上院議員の死去に伴う補選で議席を失い、自らの最重要法案である医療保険改革法の実現さえ、危ぶまれています。
そのような中、元来から厳しい規制を主張していたVolcker元FRB議長の名声とワシントンでの声の大きさを利用して、国民からの支持率を取り戻すために大きな一手に出たのが、今回の劇的なウォールストリート規制案だと言えるかもしれません。同様に業界寄りと民主党議員から厳しく批判されていた元NY連銀総裁のガイトナー財務長官も、同案には(一応)賛同しているそうです。
他の有力者としては、下院金融サービス委員会のフランク委員長も、銀行が証券事業の売却に3年から5年の時間をかけてよければ、同案に賛成すると言っているそうです。また共和党議員も、当初の反応は、その明らかな政治的意図からか冷淡であったものの、一般国民からの支持の強さを受けてか、全面的な反対はしていないようです。
一部の共和党議員は「問題は『大きすぎて潰せない』だけではなく、『複雑すぎて管理できない』ことである」などと訴えているようで、このような流れだけを見ていると、この規制案は、議会を通過して、実現する可能性は十分にある気がします。FTが指摘していた通り、詳細の定義次第でどうにでもなってしまうような内容ではありますが、「荒唐無稽」と片付けることは出来ないように思います。
金融メディアの反応
当然ながら欧米の主要金融メディアは、トップ記事でこのニュースを大きく報じました。その中で一番明確に反対意見を出しているのが、イギリスのFinancial Timesです。同紙は「Obama in declaration of war on Wall Street(オバマ大統領、ウォールストリートに宣戦布告)」というコラム記事を掲載し、関連する複数の記事やコラムの中で、様々な批判を繰り広げています。
それらの記事でFTは、同規制案の中で最も重要なのは「政治的怒りを煽るような」巨額の利益をもたらしていた「顧客サービスと関係ない自己トレーディングを禁止するとしている部分」だとし、規制発表のタイミングについて、上院補選で負け、Goldmanが記録的利益を発表した直後とするとは、「オバマ大統領らしからぬ、極めて政治的判断である」と批判しています。
またオバマ大統領が2009年12月に発表していた、金融機関救済コストを回収するための$90bn(約8兆円)の特別税を取り上げ、そちらはまだ正当化できる合理性があるものの、今回の規制案はあまりにラディカルな政策のシフトであり、「誤りである」と断じています。
その理由は「金融規制のゴールは、金融機関の破綻でシステム全体が危機に陥らないようにすることなのに、今回の提案は完全に行き過ぎ」だからだとし、リスクヘッジの為のトレーディングを例に挙げて、金融機関の業務内容の線引きは困難であるなどと指摘して、「導入すべき最も適切な規制は、リスクに見合った資本を積ませることだ」と主張しています。
確かに今まで世界中で行われてきた議論の経緯を考えても、最も効果的な規制は、自己資本比率の向上なのかもしれません。同時にバランスシートの情報を透明化することで、リスク量をより正確に把握し、また経営者の給与体系も、より投資家らステイクホルダーのそれと連動させるようにすることで、短期利益追求型の経営を抑止する方法も、効果的と考えられます。
しかしそれだけでは、「大きすぎて潰せない」問題やモラルハザードの問題の解決にはなりません。また、白黒はっきりつけようとすると、預金は銀行、仲介は証券、投資はファンドと言うように、別々の主体がやった方がわかりやすいと言うことになります。
そうなると、これは本格的な規制強化という事になり、経済界の一部が指摘しているように、政府による過剰介入との批判を免れ得ない気がします。また、仮にアメリカだけこの規制を導入した場合、自国の金融産業の大幅な弱体化によって、回復途上にあった経済に、暗雲が垂れ込めてくるかもしれません。
業績への影響
今回の規制が金融各社の業績に及ぼす影響についてWSJでは、「New Bank Rules Sink Stocks(新銀行規制で株価暴落)」という1月21日の記事の中で、具体的に各社がどれくらいプロップトレーディングに依存しているかというテーブルを載せ、影響は大きくないかもしれない、と言ったコメントを出していました。
しかし売上規模が小さくとも、プロップトレーディングは非常に利益の大きいビジネスとして知られており、影響は小さくないように思われます。そう思っていたら、翌日のBloombergがその記事の中で、アナリストの話を引用して、具体的にどの会社がどの程度の影響を受け得るかについて書いていました。
今回の規制で最も影響が深刻と思われるJP Morgan所属の銀行株アナリストによると、Goldman Sachs、Morgan Stanley、Credit Suisse、UBS、Deutsche Bankの5社だけで、来年の売上が$13 billion(約1.2兆円)減少する恐れがあるそうです。
その中で最も影響が大きいと思われるのがGoldmanで、別のアナリストの予想によると、$5bn(約4500億円)程度の影響が出る可能性があるそうです。また英銀の中では、Lehmanの米国部門を買収し、トレーディング業務への依存度の高いBarclays Capitalが最も打撃を受けると思われるそうで、「そもそもLehmanを買収した目的は、自己投資部門の取得にあった」と書いていました。
それに対してFTは「Obama and US Banks(オバマと米銀)」という記事の中で、今回の規制案の影響は「残念ながら誰にも分からない」としています。その理由は、今回発表された規制案の内容が極めて「あいまい」であり、立法過程で大幅な修正が行われることが想定されるためです。
例えば、大手銀JP Morganにおける自己資本トレーディングから上がる売上は、同社売上の全体の1%に満たないが、対顧トレーディングもJPのバランスシートを一部利用していることを考えると、どこまでが自己取引で、どこまでが対顧サービスなのかの線引きは、極めて困難である、としています。また、ヘッジファンドの保有規制についても、資産運用部門がヘッジの為の空売りを行った場合はどうするのかなど、詳細の定義によって規制の意味合いは大きく変わると指摘しています。
私の周辺も、今回の規制案は「明らかな人気取り」であり、今までオバマの提案の多くがそうであったように、具体的作業になったら骨抜きになって、それをオバマは看過するだろう、という意見が多いように思います。投資銀行から見ると、顧客かつ競合の立場にあるヘッジファンド業界は、投資銀行が自己投資が出来なくなればプラスであるはずですが、現時点では厳しい規制の実現には、懐疑的なのかもしれません。
また、各メディアが同法案に対する懐疑的見解として紹介しているように、GoldmanやMorgan Stanleyは、単純にLehman破綻後に得た「銀行」としてのステータスを捨てて、投資銀行に戻る道を選択する可能性が高いように思います。そうなれば、米国政府はまた規制枠組みの制定に、苦労することになるかもしれません。
しかしJP Morgan、Citigroup、Bank of Americaのような、いわゆる商業銀行系の大手金融機関については、銀行業と証券業の間での取捨選択を迫られることになり、今回の規制は、まさにそうした「自分たちの気に入らない企業」を事実上狙い打ちする結果になる、とFTは批判しています。仮に各社が銀行を捨てて証券になると宣言し、それらの企業がまた合併などで巨大化したらどうなるのかなどと考えると、本当に現時点では「宣戦布告」程度のインパクトと考えるのが、妥当なのかもしれません。
バイサイドからの反応
広義のウォールストリート(金融業界関係者)として語られることの多いバイサイド(投資家サイド)では、実は投資銀行の過剰な業務拡大やインセンティブシステムなどについて、以前より批判の声が上がっていました。
先ほど大手LBOファンドのKKRが、資金調達やM&Aの仲介サービスを自社に提供する存在であるはずの投資銀行が、自社内ファンドを持って投資案件のビッドにおいて競合となりつつあることを批判した話に触れましたが、投資信託やヘッジファンド業界でも、証券会社が対顧サービスのトレーディングとプロップトレーディングの間の情報隔壁(チャイニーズウォール)を守っておらず、自分たちのオーダーをフロントランしていると、批判する向きもあります。
また、Bloombergの1月22日の記事「Bank Failures Should Destroy CEOs(銀行破たんはCEOを破滅させるべき)」によると、世界で最も高名な株式投資家で、大手銀Wells FargoやGoldman Sachsの大株主でもあるWarren Buffett氏は、大銀行の経営者のインセンティブストラクチャーは大幅な変更が必要だ、と主張しているそうです。
常に正論を述べるBuffett氏らしい主張ですが、「銀行が破綻した時に、500億円の報酬が50億円になるのでは、全く懲罰的と言えない」、「銀行が破綻した際には、CEOや家族の資産は没収され、経済的に『破滅に追いやられる』べきだ」、「GMでレイオフされる従業員と、何ら扱いに違いがある理由があろうか」などと、かなりドラスティックなコメントを発したそうです。
銀行の大株主でもある同氏は、昨年末に発表された、公的資金で救済された銀行への特別課税については「根拠不明」と反対していましたが、今回のオバマ規制については、まだ意見を留保しているようです。かつて破綻しかかったSalomon Brothersを救済し、2008年にはGoldman Sachsに巨額の資金を投じたBuffett氏は、大統領選ではオバマを支持しており、今後の発言が注目されます。
また、ちょっと記事を見つけることが出来ませんでしたが、Lehman Brothersが破綻する前に、同社のCFOと舌戦を繰り広げて名を上げた、ヘッジファンドGreenlight CapitalのDavid Einhorn氏も、現在のウォールストリートの仕組みは完全なモラルハザードに陥っており、大手投資銀行や住宅ローン金融会社は解体されるべきであると言った主張を、以前にしていたように思います。
この度の規制案に対しての、バイサイドの「コンセンサス」を集約することは極めて困難ですが、上記のようにウォールストリートに批判的意見もあるということは、特筆に値すると思います。特に、投資銀行以上に批判の矛先に立たされることが多いヘッジファンド業界は、昨年の議会公聴会でGeorge Soros氏を筆頭とする大手ファンドの経営者達が「自分たちは公的救済を一切受けておらず、危機を発生させたのは規制されているはずだった大手金融機関だ」と主張しており、どちらかと言うとウォールストリートに批判的である気がします。
まとめ
今回の規制案は非常にドラスティックな内容であり、実現すればウォールストリートの業界図は、大きく変化してしまうかもしれません。
今のところ、規制案に対する反論の多くは、「特定企業の狙いうちである」「金融システムの安定化に寄与しない」「金融危機を引き起こしたのは自己投資部門ではない」と言ったようなもので、「モラルハザードを抱えた高額報酬業界への国民批判」と言う政治的意図に対して、上手く対応できていないように見えます。
特に、「金融危機の発生に自己売買部門は関係ない」と言う主張については、今ではLehman Brothersの破綻ばかりに注目が集まっているものの、最初に危機を引き起こしたのが、当時第五位の投資銀行であったBear Stearnsが運営していた社内ヘッジファンドであったことを考えると、フェアとは言えない気がします。
とは言え「規制案は具体性に欠ける」「事業の区分けは事実上不可能である」と言った現場からの批判は至極尤もであり、予想されるウォールストリートからの強力な反発も加わって、規制の実現には高いハードルがあると言える気がします。今後も様々な業界関係者から、色々な意見が出されることが予想されますので、気になるものがあったら取り上げたいと思います。
by harry_g
| 2010-01-23 15:42
| 投資銀行