空前の詐欺事件 |
SEC(米証券取引委員会)は9月2日に、この事件について調査した内部報告書の要約を発表(WSJによるとフルレポートは4日発表)しており、それを受けて翌3日にはBloombergが、「SEC Never Did 'Competent' Madoff Probe, Report Finds(邦題:マドフ受刑囚も「仰天」、SECの詐欺事件を見抜く能力不足-報告書)」という、厳しいタイトルの記事を掲載していました。
そんなMadoff事件について書かれた書籍が、先月に何冊か出版されましたが、そのうちの一冊に「Too Good to be True(真実であるにはうま過ぎる)」があります。
Madoff氏の詐欺に警鐘をならした人として、資産運用会社Rampartに勤務し、2000年から度々SECに警告していたHarry Markopolos氏が有名ですが、2001年にWSJ系の雑誌であるBarron’sも、オプショントレーダーや投資家からの話を受けて、同氏のスキームが怪しいという内容の記事を書いていたそうです。上記の本は、その記事の著者によるものです。
同著に関する書評記事「Madoff Got Cozy With SEC, Ran Ponzi Scheme on Creaky IBM(マドフ詐欺成功の鍵はSECとの良い関係、道具は旧型IBM)」が、8月11日のBloombergに掲載されていて、目に留まったので、その記事も参照しつつ、この事件について少々書いてみたいと思います。
詐欺の仕組み
Madoff氏の詐欺の仕組みは極めて単純で、新規の投資家から集めたお金を、既存投資家に投資リターンと偽って、配分するというものでした。よって彼の詐欺が成功するためには、「実際には投資などしていない事がバレないようにすること」と、「次々とお金を集め続けること」の二つが必要であったと思われます。
前者について同氏は、極端な秘密主義を取っており、NYのミッドタウンイーストにある、目の引くビルにオフィスを構えていた同氏の会社は、オフィスを運用部門とトレーディング部門で階を分け、運用部門には常に鍵がかかっていたそうです。
上記のBloombergの記事によると、実際の取引の入力は、単独の、旧式のコンピュータのみで行われ、その入力作業は、Madoff氏自身しか携わっていなかった、との疑いもあるそうです。
また同氏は、投資家から質問を受けることを極端に嫌ったそうで、同氏とのミーティング中にメモを取り出したとある投資家は、「メモ取りは禁止だ!」と怒鳴られてメモ帳を床に叩きつけられ、そのまま同氏は「嵐のように部屋から立ち去って」しまったそうです。
WSJが2009年3月に作成した同事件に関するビデオ「Inside the Madoff Scandal(マドフスキャンダルの内側)」によると、投資家は、カントリークラブなどでMadoff氏を見かけても、投資や市場について話すことは、禁じられていたそうです。同ビデオの中での解説によると、同氏は「魔術師」のようであり、「魔術師に質問や疑問を投げかけることは禁じられていた」のだそうです。
もう一つの詐欺の根幹であった、継続的に資産を受け入れ続ける仕組みについては、Madoff氏は富裕層の心理を、誰よりもよく理解していた、と言われています。WSJのビデオによると、同氏のファンドに投資をした人の大半は、「欲望(Greed)」からではなく、「ステータス」や「社会的信用」を求めていたそうです。
実際、アメリカやヨーロッパの富裕層の間では、ヘッジファンドに投資をしている、または「ファミリーオフィス」と呼ばれる一族の資産を運用する会社が、幾つかのヘッジファンドを運営している、という事は、社会的なステータスとして捉えられています。それは、元来ヘッジファンドが、優秀な人材を雇い入れ、伝統的な株式・債券投資よりも安定しているかそれを上回るようなリターンを、市場との相関性を低く抑えた形で生み出していた事に、起因していたようです。
しかし、と同時に、そのようなリターンを生めるヘッジファンドは謎に包まれた存在、といった考えが広まってしまい、徐々に「取引手法が出来るだけ複雑で、ブラックボックスであればあるほどよい」と言う雰囲気が、富裕層の間で広がってしまったそうです。Madoff氏のファンドは、どのように安定的にリターンを生んでいるのかという点について、まさにブラックボックスそのものであったとされています。
更に同氏のファンドに投資をするためには、既存の投資家から直接紹介を受ける必要がありました。そうした「排他感」を作り出すことで、同氏にお金を預ける特権に預かれることは名誉であり、特別なことである、という感覚を、特にNY近郊の富裕層の中で、作り出していったのだと言われています。
そんな事もあり同氏のファンドは、「The Jewish Bond」などと呼ばれていたと、WSJでは伝えていました。実際、同氏の詐欺被害は、主にユダヤ人コミュニティの中で広がってしまったようで、中には日本でも名の知られるような著名人に加えて、いくつもの慈善団体や学術機関、ひいてはMadoff氏の数十年来の個人的友人も多く含まれるなど、同氏の犯罪の非道さが伺えます。
Madoff氏は、ニューヨーク近郊のQueensとLong Islandで育ち、周辺には、成功して裕福なユダヤ人の家族が沢山暮らしていたそうです。そうした生活を続ける中で同氏は、成功者達が金融や投資にはあまり明るくないこと、お金を増やすことより安定したリターンを得続けることに関心があること、そして「プライベートクラブ」のような雰囲気を好むことなどを、学んだと言われています。
小型株のトレーディングからコンピュータトレーディングへとキャリアを勧めたMadoff氏は、40年近くをトレーディングデスクで過ごしたそうです。その後、徐々に資産運用への関心が移り、恐らく最初はまともな商売をしていたのが、ある時に約束したリターンが生み出せなくなり、非道徳な道へと堕ちて行ってしまったのでは、とWSJでは指摘していました。
規制当局と天下り批判
この事件では、SECに対して、大変厳しい批判の矛先が向いています。前述のMarkopolos氏は、議会証言に立ち、SECが同氏の数学的根拠に基づいた警告を無視し続けたこと、事件発覚後も誰も責任を取っていないことを指摘して、「SECが責任ある対応をしていれば、被害額は$3-7bn(約3000~7000億円)で抑えられた可能性がある」と、痛烈に批判していますし、9月に出された調査レポートでも、多くの忠告が聞き入れられなかったと指摘しているようです。
また、WSJのビデオの中で解説者は、SECやNASD(全米証券業協会)の幹部たちは、何年かしたらウォールストリートに天下りすることを期待しており、そんな慣行があっては、業界との癒着が進むことは避けられない、と指摘していました。「Too Good To Be True」の著者も、Madoff氏が70~80年代にSECと良好な関係を築いたことが、同氏の詐欺が大きく成功してしまった原因だと指摘しているようです。
「天下り」批判は日本でも非常に強く、最近の衆院選で歴史的勝利を収めた民主党も、天下りの全面禁止を主張しています。アメリカでは「Revolving Door(回転ドア)」と言われ、当局から業界への一方通行ではなく、業界から知識を持った人を当局が採用するということも、日本より積極的に行われます。この仕組みは、規制当局のノウハウを高めて、規制の枠組みの最適化が図れるというメリットがある反面、Madoff事件で指摘されているような癒着の問題が、副産物として発生し得る気がします。
ただ、調査レポートを詳しく読んだわけではありませんが、SECも(そしてどの政府機関も)完璧な存在であは有り得ないので、調査ミスといったことは、どうしても発生してしまう気がします。今回そうして見逃されてしまった事件の規模が空前の被害額に上った上、大手証券会社の破綻による金融危機発生というタイミングの直後に発覚したことは、SECにとっては悲運であったと言えると思います。
ヘッジファンド業界への影響
Madoff氏の資産運用会社が、一般の目にあまり触れることのない「ヘッジファンド」という扱いであったことから、批判の矛先がヘッジファンド業界にも向けられ、その後は富裕層の資産を運用するプライベートバンクや、ひいては同社と取引のあったウォールストリート(証券業界)全体に、そのショックと影響が広がって行きました。
ヘッジファンド業界に対する特筆すべき影響は、投資家が今まで以上に慎重になり、デューディリジェンスの際に、投資リターンや投資戦略と同等に、決済などを担当するいわゆる「バックオフィス」を精査するようになったことが、挙げられると思います。
某大手FoF(ファンド・オブ・ファンズ)に勤務する友人は、その事について、以下のように言っており、これは最近の業界の状況を、よく表している気がします。
「パフォーマンスが悪くて運用会社が潰れてしまうリスクは、投資ビジネスをやる上での正当なリスクとして、受け入れられるが、業務面が原因で会社が潰れるようなリスクは、投資家は許容することが出来ない」
しかしこれは、ヘッジファンド業界にとって、良い変化であるかもしれません。ヘッジファンドはどうしても、「規制を逃れた怪しい存在」と思われがちであり、詐欺のようなスキームも時折報道されていましたし、「金融危機を引き起こした犯人」のような嫌疑を掛けられることもありました。
今回の事件の結果、投資家や当局からフェアなチェックが入るようになることで、いい加減なファンドが淘汰され、しっかりとしたマネージャーだけが生き残ることで、業界全体がより健全な状態に推移することが出来るかもしれません。
ただ、過剰な資本規制や取引規制を設けても、本当の問題解決には、繋がらない気がします。これは、今回のエントリーのテーマである「詐欺」とはちょっと違ったポイントですが、「規制されていない機関=危険」というロジックは、必ずしも正しくないと思います。
ヘッジファンドと金融危機の関連について、「ヘッジファンドと金融危機(議会証券より)」で、George Soros氏や、今回Madoff事件の調査でも名前の出る大手クオンツファンド、RenaissanceのオーナーであるJames Simons氏を含む、著名なヘッジファンドマネージャー5名が、議会公聴会で発言した内容について触れています。
ここでなされた「金融危機を引き起こしたのは、規制されていなかったヘッジファンドではなく、厳しく規制されていた大手金融機関であった」という各人の主張は、後に各方面から繰り返し主張されるようになっており、かなりの真実性を持っている気がします。