ウォールストリート「危機の時」 |
しかしそうした話を聞く度に「またか」と感じるのは、私だけではないかもしれません。
ウォールストリートでの仕事には、98年から係っていますが、10年足らずの間に、「98年のロシア危機(LTCM破綻)」、「00年のネットバブル崩壊」、「01年の同時多発テロ」、そして「サブプライム危機」と、市場の暴落を四度も目にしました。
そのたびに金融業界関係者やメディアから「こんなにひどい状態は見たことがない」、「過去20年で最悪の状態だ」、「アメリカ金融帝国の崩壊だ」との声が聞かれ、市場は株式などのリスクアセットの投げ売りをして来ました。
そして住宅ローン最大手のCountrywideを破綻させ、五大証券の一角であったBear Stearnsを瀕死に追い込み、Goldman、KKR、Carlyleと言った名だたるオルタナティブ投資会社が運用するファンドに大きな損失をもたらした今回の危機も、かつて世界の為替市場を震撼させたGeorge Soros氏に、「アメリカで60年続いたスーパーバブルの崩壊だ」と言わしめるに至っています。
そこまで言われる今回の危機は、今までとは何が違い、何がそんなに重大なのでしょうか?
その答えは誰に聞くかによって異なるでしょうが、3月22日号のEconomistの特集記事の中に、一つの答えがある気がします。
まず、今回の危機の根幹となった問題は何かという点ですが、簡単に言ってしまえば、金融システムに重大な役割を果たす投資銀行が過剰のレバレッジを抱えており、その結果「流動性危機」に極めて脆弱である事実が露見したこと、と言える気がします。
同誌が指摘するところによると、80年代から長らく続いた低金利状態がもたらした株式・債券のブルマーケットと、90年代に急速に進んだIT技術の発展によるリスク管理能力の向上は、ウォースストリートに「レバレッジをかけて儲けを拡大させよう」というメンタリティを植え付けてしまったそうです。
1980年代前半頃、金融セクターは、アメリカの企業利益の1割と時価総額の6%を占めるていたそうですが、07年時点で労働人口全体の5%を占めるに過ぎない金融セクターは、実に企業利益全体の4割、株式時価総額の2割を占めているそうです。
ただその地位に至るに当たってウォールストリートは、本来の役割であった「キャッシュフローに基づく資金融通」という、いわば「投資銀行」機能を大きく超越し、レバレッジを効かせてフィーや投機利益の獲得に奔走するようになってしまったと、Economistでは指摘していました。
実際金融セクターが抱える負債は、1980年には非金融セクターの1割に過ぎなかったのが、現在では実に5割にも及んでいるそうです。GoldmanとMerrillという大手証券二社の例が挙げられていましたが、前者は$40bn(約4兆円)の自己資本に対して$1.1tril(約110兆円)の資産を、後者は$30bn(約3兆円)の自己資本に対して$1tril(約100兆円)の資産を運用しているそうです。
危機に直面した金融機関がレバレッジを下げようとすると、抱えている資産を「投げ売り」する必要が出て来ます。しかしそのような時、つまり現在のような時には、リスクアセットへの投資意欲は消失している事が多く、叩き売られる資産の反対に買い手がいないという「流動性リスク」が顕在化します。このことは、現在金融システムを混乱させている、大きな要因の一つとなっている気がします。
更にEconomistでは、規制の網の目をかいくぐることが利益追求の手段の一つとなってしまったことの問題も指摘していました。証券化に用いられるSIV(特別投資ビークル)については、山一證券が破綻した原因となった「飛ばし」に近い仕組みだと指摘する声も聞かれ、サブプライム証券につけられたAAAという格付の問題も、金融業界内外で頻繁に議論されています。
ただEconomistは、「だからこそ不用意な規制強化では問題解決にならない」と指摘しており、また現在の金融システムは「あまりに便利なもの」であるため、「多くの欠点を認めた上で、十分に救う価値のあるものだ」と主張していました。
その上で「今日の危機により、ウォールストリートは金融商品が内在するリスクについて再考する必要があり、業界史は新たなチャプターに入る必要がある」とも述べていましたが、そのことは最近のBear Stearnsの救済劇と関連して考えると、分かりやすいかもしれません。
(Bear Stearnsの一連の破綻危機は、市場に大きなインパクトを与え、現時点でも多くの金融メディアに報道されています。よってまた機会があれば、その流れについても触れてみたいと思います。)
Bear Stearnsは、Goldman、Morgan、Lehman、Merrillと並ぶ、アメリカ五大証券会社の一つです。
ニューヨークのグランドセントラル駅の近くに壮大な緑色の高層本社ビルを保有する同社は、モーゲージ証券業務とヘッジファンド取引(プライムブローカレッジ)業務に強みを持つ証券会社と言える気がします。
3月中旬に同社に関する信用不安の噂が流れ、同社が短期の資金繰りに困窮して破綻の憂き目にあった際、アメリカの中央銀行(FED)は、同社救済のために$30bn(約3兆円)の公的資金を提供し、また大手銀JP Morgan Chaseによる買収をお膳立てしました。
このことについてアメリカでは、何故一企業を公的資金をつぎ込んで救済する必要があったのか、従業員が破綻してボーナスを取り上げられることを恐れたからではないかなど、多くの批判の声が上がりました。
ただ色々な話を聞いていると、本当の救済理由は別のところにあったようです。
Economistの記事が指摘していたところによると、同社が行っていたデリバティブ取引の総額は、$10tril(約1,000兆円)にも及んでいたそうです。そんな同社が破綻してしまったら、金融市場に広範なダメージを与えた可能性が高かったと思われます。
そのような重大な役割をシステムの中で担っている大手証券会社が、利益追求のために自らのレバレッジ(リスク量)を膨張させ続けてて来た結果、信用不安による「短期流動性の枯渇」という単純な理由で、破綻しかかったという事実。これは今回の金融危機にあたっての、本質的問題の一つと言える気がします。
昨年の夏にBear Stearnsが運用していたヘッジファンドが破綻し、金融メディアやアナリストの多くがまだ今回の危機の重大さに気づいていなかった頃、経済専門チャンネルであるCNBCの人気番組「Mad Money」のホストで、元ヘッジファンドマネージャーでもあるJim Cramer氏が、「これはアルマゲドンだ!FEDは寝ているのか!」と絶叫していたのは、記憶に新しいところです。(なかなかユニークな人なので、YouTubeのビデオをご覧下さい。)
彼の主張がFEDに聞き入れられたとまでは言いませんが、今回FEDが大きく一歩踏み込んで、証券会社(プライムブローカー)に対してリスクアセットを担保にした資金供給を実行したのは、単に「リスク管理のミスだろう」と言って見捨てることの出来ない「システミックリスク」に対処する為であったと言えるかもしれません。
ただ残念ながら、今回のFEDの行動により、サブプライムに端を発した「クレジットバブルの崩壊」という問題が落着したと考えるのは、時期尚早な気がします。
というのは、FEDによるプライムブローカー(証券大手)に対する直接資金融通のメカニズムは、短期流動性の枯渇というリスクの解決にはなるものの、住宅価格やデット価値の下落といった根本的問題を、解決するわけではないからです。
住宅価格の下落の連鎖が止まらず、その影響がその他のコンシューマーローン市場に波及すると、個人消費も急速に冷え込んで、経済は下落スパイラルに突入してしまうかもしれません。その結果もたらされる不景気は、クレジット市場を更に悪化させると思われるため、「問題の底が見えない」と指摘する声にも、一理ある気がします。
こうして見てみると、現在のアメリカの金融危機が、米英が80年代より推進して来た金融セクターを中心とした経済システムと、ドルを基軸通貨としてアメリカの信用膨張を支え、アメリカの個人消費を最終消費地としている今日の世界経済システムの「根幹」に関る問題であることが、理解出来る気がします。
Economistが言うように、そのシステムは現時点でも正常に機能しており、今後も正常に機能し続けることが期待されます。ただ今回露見した様々な問題にどう対処し、システムを安定した状態に導けるか、ウォールストリートとアメリカ金融当局の叡智が試されているのは、間違いない気がします。