リクイディティの逆流? |
この場合のリクイディティは、市場の流動性という意味ではなく、「信用拡大」と置き換えることが出来る気がします。ここ数週間の動きは、その信用が急速に収縮する兆しを見せ、まさに「リクイディティの逆流」とも言える現象を引き起こしたと言えるかもしれません。
このような混乱が発生すると、金融関係者から「想定外の『Perfect Storm』だ」などといったコメントが出て、市場暴落の恐怖を助長しがちですが、私自身、その全く同じ台詞を、過去10年で少なくとも2回は聞いたことがある気がします。そう考えると昨今の混乱状況も、単なる市場の一局面と言った方が正しいかもしれません。
それでも実際に嵐の真っ只中にいる人にとって、その規模が相当大きいのは間違いないようなので、最近の証券会社や金融メディアの分析を参考に、なぜこのような混乱が発生しているのか、連鎖の流れを少々見てみたいと思います。
混乱の始まりになったのは、米国のサブプライムと呼ばれるリスクの高い住宅ローンであることは広く知られている通りですが、その市場で数週間前に貸倒(デフォルト)率が急上昇し、それらの債権に投資していた(リスクを引受けていた)住宅ローン銀行やヘッジファンドなどで損失が拡大してしまいます。そして大手証券Bear Stearnsの運用するファンドが破綻したり、フランスの大手銀行BNP Paribasが運用するファンドを凍結するなどしたため、問題の深刻さが広く注目を浴びることになりました。
その結果、そもそも全般的に過熱気味であったクレジット市場全体に懸念が広がって、投資家が一斉にリスク回避行動を取り、クレジット投資家全般に損失が広がってしまいます。それらのファンドは損の穴を埋めるべく、換金性の高い優良上場株式などを売却する行動に出たようで、今度は株式市場が、不可解な売り浴びせが多発する「非合理」な状況になってしまいます。
このような形で引き起こされた株式市場の暴落の中で、特に影響を受けたと言われているのが、合理的市場を前提としてコンピュータでトレーディングを行う「クオンツ系」と呼ばれるヘッジファンドです。そして損失が拡大したクオンツファンドが一斉にポジション解消に走ることとなり、巡り巡って混乱が株式・債券・為替といった市場全般に広がってしまった、というのが大まかな流れであったと言える気がします。
ここで名前が出た「クオンツ系」ファンドは、聞くところによると株式ファンドでも10倍前後といった比較的大きなレバレッジを用いて投資をするそうで、ヘッジファンド全投資残高の3分の1程度の規模があると指摘する声もあるそうです。そして各社が比較的似通ったシステムを使用しているため、損失はプレイヤー全体に急速に波及してしまうようです。
そうした損失によって元本価値が減少すると、ヘッジファンドでは銀行や証券会社と言ったレバレッジの出し手から一斉にマージンコール(追加担保)を迫られます。それがポジションの解消による現金化を引き起こし、市場のボラティリティを急激に高める結果となったのかもしれません。
ニュースになっている代表的なところでは、今やオルタナティブ投資の最大手であるGoldman Sachsの運用する旗艦ファンドである「Global Alpha」が、8月13日時点で30%近い損失を出したと報道され、一時はファンド閉鎖の噂まで流れました。
また8月13日のNY Timesによると、Global Alphaの創設者であるシカゴ大Ph.DのClifford Asness氏が運営する「AQR Capital」が8月前半で13%の損失を出し、またクオンツ業界最大手とも言える実績を誇るJim Simons氏が運用する「Renaissance Technologies」が7月から8月の半ばまでで10%を超える損失を出すなど、混乱の影響の大きさが伺えます。
もちろん市場へのインパクトは、これらクオンツファンドによるポジション解消の影響以外にも、クレジットマーケットに対してエクスポージャーの高い金融株が売り込まれたり、また投資家が「質への逃避」行動を取って米国債を積極的に購入するなどした結果、アメリカの金利が下がって低金利の円で借りてドルで運用する「キャリートレード」の解消を引き起こし、それが輸出関連銘柄の多い海外の株式市場を直撃するなど、影響は複雑に絡み合っていたと言える気がします。
・・・と、こうして見ていると、何となく混乱の原因は全てリスク資金を提供していたヘッジファンドや投資ファンドにあるように見えるかもしれません。確かに一部のファンドは、リスク管理の甘さを指摘されるべきなのかもしれませんが、これらのファンドもいわば単なる市場参加者であり、そこに資金が集まっていた背景には、以前から書いていた世界的リクイディティの高まり(金余り)があったと言える気がします。
出元が産油国とも中国とも、また高齢化が進む先進国での資産流動化とも言われる多額の投資資金(リクイディティ)は、投資ファンドやヘッジファンドなどを通じて様々な形で欧米市場に流れ込み、それらの資金が積極的に株や不動産を買ったり、その資金調達元であるデット資金を提供したりしていたのは、過去数年のトレンドと言えるかもしれません。
(2006年最後のエントリーでも書きましたが、世界最大の不動産投資ファンドEOPを昨年末にBlackstoneに売却した著名投資家のSam Zell氏が、1年半前の2005年末に世界に溢れるリクイディティについて歌った「The Theory of Relativity」を是非、お聞き下さい。)
そのようなリクイディティの恩恵を受けて、ヘッジファンドとともに繁栄したのが、昔から書いているレバレッジ(借入金)を用いて企業を買収するLBO(プライベートエクイティ)業界だったことは、今更言うまでもない気がします。
この業界は優れた投資技術を備えた存在であり、今後もアップダウンはあるにせよ引続き繁栄して行くと予想されます。ただ、先週末のNY Timesのサンデーコラムでも触れられていたように、業界大手KKRの創業者であるHenry Kravis氏がバイアウト業界は今「黄金期(Golden Age)」にあると宣言したのは今年5月のことであり、Blackstoneが株式上場を行って業界はピークなのではと議論が広がったのがほんの1ヶ月前であることは、興味深い話です。
またリクイディティの恩恵という意味では、ヘッジファンドやLBOがブームに沸く傍らで、資金や取引を融通するウォールストリート(証券業界)も大変潤い、各社とも純粋な仲介業務では飽き足らず、GoldmanやJP Morganのように自らも巨大なヘッジファンドやPEファンドを運営して史上最高益を叩き出し続けていたのも、記憶に新しいところです。
ただ全てのブームに終わりがあることはこの世の常であり、今回の「リクイディティバブル」もいずれ終焉することが予想されていたのは以前書いた通りです。レバレッジド・ファイナンス(信用力が低い企業向けデット)市場も、史上最低のデフォルト率とリスクアセットに流入する豊富な資金によって歴史的好景気に沸いていたわけで、サブプライム問題が発生しなくても、そちらの世界で問題が噴出していたかもしれません。
それでもインターネットバブルを思い出せば分かるように、世の中がブームで沸いている時にその反対意見を貫くのは容易ではなく、結果的に多くの人がブームに乗る道を選んでしまうことでバブルが拡大してしまうのは、古今東西変わらないことのかもしれません。(アメリカではHarvard MBAに最も人気がある業界がブームのピークにあると言われますが、これには同校に限らないMBA全般に通じるある程度の真理と共に、同校への妬みも多分に含まれている気がします。)
では今後ウォールストリートや投資業界が冬の時代に突入するのかと言うと、必ずしもそうではないかもしれません。
市場の混乱時に忘れられがちなのは、市場が非合理な動きをする混乱状況は、一部の投資家にとっては大きなチャンスになると言うことです。8月15日にはWarren Buffett氏が、Bloombergのインタビューに答えて「このような混乱の中では株式のミスプライス(売られすぎ・買われすぎ)が起こりやすい」とコメントしていたようですが、実に的を得た発言と言える気がします。
不動産市場やM&A市場でも、物件や企業(株)の投売りに走る人がいる一方で、優良物件を安い値段で買ったり叩き売られるデットを下値で仕入れたりということを狙っている投資家にとっては、今の状況は宝の山と映るかもしれません。大手と言われるLBOファンドの中にも、既にその準備を着々と進めているところが多くあるようです。
このような投資家行動は、まさに市場の「自律調整機能」とも言え、市場システムが効率的であり、且つ流動性を提供する優れたプレイヤーたちの存在があるからこそ、可能になっていると言える気がします。市場は「人間心理の集合体」とも言うべき存在なので、その効率性を妨げたりプレイヤーを規制したりしても思ったような結果が得られない理由も、まさにここにあるのかもしれません。
逆に、市場の効率性を担保する流動性を維持するために各国の中央銀行が市場に資金を注入したり、破綻が恐れられたGoldmanのヘッジファンドに投資家が即座に追加出資をしたことは、損失を出しても助けてもらえるという「モラル・ハザード」を避けつつ無用な混乱を排する行動として、大変望ましいと高く投資家から評価されているようです。
もちろん、しばらく続いていた過剰流動性によって行き過ぎた価格は、今後もしばらく調整を続けるかもしれませんし、その結果実体経済に悪影響が出て、更なる市場の下落を招いてしまう可能性も否定できない気がします。例えばアメリカで住宅ローンが借りにくくなれば、住宅市場全体が本格的に冷え込んでしまい、家の値上がり部分を担保にしたホームエクイティローンへの依存度が高いと言われるアメリカの個人消費を落ち込ませて、アメリカ経済が不景気に陥る可能性も無いとは言えない気がします。
また投資銀行の主要な収益源となっているヘッジファンドやLBOファンドの活動減少は証券業界にとって大きなマイナスであり、ウォールストリートでは2003年に見られたような大幅なリストラが始まるかもしれません。実際8月17日のCNN Moneyが、Bear Stearnsが既に社員のレイオフを開始したと伝えていました。
ただ労働市場や金融市場といった経済システムの柔軟性が高いアメリカが、ウォールストリートで「過去20年で最悪の不況」と言われた同時多発テロ後の不景気からも2年足らずで脱したことは、記憶に新しいところです。先ほども紹介した毎年年末に時勢を反映した歌を発表するSam Zell氏が、2002年当時に送った歌「Get Over It (乗り越えよう)」を聞いていると、「歴史は繰り返す」ということが実感できるかもしれません。