「Japan as No.3」 |
8月17日のWSJは、「Japan as Number Three」という記事を、80年代に注目を集めたハーバードのEzra Vogel氏の書籍「Japan as Number One」と掛けて掲載し、冒頭では「若い読者には信じられないだろうが、20年前にはアメリカのエスタブリッシュメントは、日本が米国を追い抜いて世界一の経済大国になるだろうと本気で考えていた」と、日本経済の衰退と中国の躍進を、象徴的に捉えるような言い回しを使っていました。
WSJの記事の中でも、国民一人辺りのGDPでは、(人口が中国の10分の1である日本は)今でも中国を大きく引き離しており、生活水準も日本の方が、比較にならない程高い。
しかし、1990年から2009年にかけて、中国が平均年率10%程度で成長を続けて来たのに対して、日本の成長率が2%以下で推移してきた事が、今回の歴史的順位変更をもたらしたと、今後の見通しも含む「経済成長率」の違いを強調して、懸念を示しているように感じました。
またWSJでは、バブル崩壊以来、史上最長のケインジアン経済政策(政府支出の拡大による景気の下支え)を実行することで、政府負債のGDP比率は200%届く勢いであるのに、その巨額の政府支出は、経済改革や、経済成長を促す方向には、ほとんど使われて来なかった。その結果、日本経済の停滞は20年も続き、これは日本国民のみならず、経済大国日本の成長メリットを享受できない世界全体にとって、大変不幸なことである、と書いていました。この最後の「世界全体にとって」というコメントは、日本に対して、経済大国としての責任の自覚と、その地位に相応しい世界経済への積極的貢献を、促しているものなのかもしれません。
「大国の責任」と言えば、日経新聞(オンライン版)が8月21日に「日本超えを喜ばない中国 『大国』の責任どこまで」という記事を載せていましたが、そこで使われていた名目GDPの絶対額の推移のグラフは、日中の経済成長のスピード差を、明快に示している気がします。
と同時に、このグラフは、リーマンショック後の円高で、日本経済が成長しているように見えるという、GDPを「ドル建て」で評価することの問題点も、端的に示しています。
上記のFTの記事も指摘している通り、日本が西ドイツを抜いて、世界第二位の経済大国になった1968年当時、ドル円レートが360円に固定されていたのが、1985年のプラザ合意に至ってその3倍に価値が上がったことは、広く知られている所です。人民元が今日同様に過小評価されていると考えると、実質的な中国のドル建GDPはとっくに日本を遥かに上回るレベルであり、むしろ一番上のチャートが示しているように、「アメリカに追いつくのはいつか」という議論の方が、適切であるのかもしれません。
もちろん、中国が世界第二の経済大国になったと言っても、世界中の経済メディアが指摘する通り、68年当時の日本と現在の中国との間には、都市化や公害問題と言った共通点と同時に、日本が世界に通用する企業群を既に生み出し、貧困問題も解消しつつあったのに対して、中国は今でも低い労働コストに依存した「世界の下請け」を続け、また国内に深刻な貧富の差を抱えるなどと言った、大きな違いが存在します。
特に「世界に通用するブランドを持たない」という点については、中国のエリート若者層の間では、「今でも民主主義を確立していない」という点と並んで大きく問題視され、自戒の念を持って議論されているようです。中国メーカーのR&Dコストは、日本や韓国と比較するとまだまだ低いようで、中国から明日のTOYOTAやSAMSUNGが生まれる日は、まだ先なのかもしれません。
しかし、中国の「経済規模」と、その「変化のベクトル」が、いかに世界に大きなインパクトを与えているということは、世界中から人と情報が集まるニューヨーク、ウォールストリートでは、極めてはっきりと感じられます。特に、リーマン危機を上手に乗り切った中国が、日本を上回る米国債の最大の保有国となっていることや、人民元が過小評価されていると考える向きの多い欧米では、中国の経済成長のインパクトは額面以上であると考えられている事もあってか、日本と比較した中国への注目度の高さは大変なものです。
株式投資の世界でも同様で、残念ながらアメリカ人投資家の日本株に対する評価は、「批判的」から「無関心」に、既に移ってしまったと言っても過言ではない気がします。アジアの中では、日本が今でも最も発達した株式市場を有していることもあり、日本は完全に「無視される」とまでは至っていません。しかし証券会社でも、日本とアジアに分かれていたセールスチームは徐々に統合されて、アジア側の人間がトップに立つことが多いように見受けられます。
また、大手金融機関のアジア地域のRegional Headquarters(地域本社)に選ばれるのも、東京ではなく、英語が通じ、中国本土に隣接し、また様々な税金優遇策も存在する香港です。最近では、投資信託大手Fidelityの著名ファンドマネージャーAnthony Bolton氏が、香港に移ってで中国株投資を始めたり、欧米の大手ヘッジファンドが香港にオフィスを開設したりと、その傾向は、最近ますます顕著になりつつある気がします。
(もちろん欧米ファンドは、ホットな時に、常に一歩送れて現地オフィスを開設する傾向があるので、現在のトレンドは、中国の一時的ピークアウト感を示しているのかもしれませんが。)
金融業界以外でも、アメリカの一流と呼ばれる大学では、日本人の学生数は減少の一途を辿る一方、中国本土出身の学生が、MBAやロースクールで、どんどん存在感を増しているそうです。日本では留学熱もすっかり冷めているそうですが、世界的な人脈形成の場であると言えるアメリカの大学や大学院での、日本の相対的な存在感の低下は、長期的には国益にもマイナスかも知れません。
もちろん、WSJにもありましたが、日本の奇跡の経済成長の原動力が、戦後の復興と豊かさに対する国民の強い意志と欲望であったことは明白です。今日、同じように貪欲で前向きな中国と、既に高い経済成長と豊かで安定した生活を実現した日本の成長率を単純比較することは、少々アンフェアであり、また日本と中国が欧米から学ぶべき事の量の差を考えると、留学生数の差の比較も、そこまで意味がないことかもしれません。
とは言え、日本の相対的国際地位の低下は、恐らく日本で感じられているよりも遥かに深刻であり、その事を日々肌で感じることの出来る在米・在欧邦人の多くが、日本の経済力の低下に、以前から強い懸念を示して来ました。しかし英語で伝わる外からの情報が入りにくい日本では、かなり最近まで、「そんな危機感を感じる状態にない」という声が多勢であったように思います。
しかし最近は、日本にいる友人・知人たちからも、「日本社会に閉塞感が漂っている」という話をよく聞くようになりました。国民の多くが基本的に豊かで安定した生活を送っているはずの日本でも、さすがに長期間に渡る経済停滞がじわじわと国民生活に影響を及ぼして、それが閉塞感につながっているのかもしれません。
最近、日経新聞(オンライン版)が、特集コラム『日本、世界での存在感低下 ジワリ衰退 危機感薄く この20年-長期停滞から何を学ぶ』を掲載し、書き出しで「この20年、日本は『緩慢なる衰退』を続けている。(中略)世界経済の歴史的転換のなかで日本は『失われた20年』から脱却できるか。戦後最大の岐路を迎えている」と指摘していました。こうした記事は、国民の感じている閉塞感を映し出しているのかもしれません。
また、この日経コラムの中で取り上げられていた、福井元日銀総裁の以下のコメントは、当ブログの年初のエントリーでも触れたように、日本経済衰退の原因の核心を突いているように思いました。
>(90年代に)「世界全体の潮流変化が始まったときに、日本は戦後の成功物語の頂点を極めようとしていた。中国の改革・開放からベルリンの壁崩壊、その後の今日にいたるグローバリゼーションへの潮流変化に即応して各国は改革を競ったが、日本は自らをどう改革するか、容易にそういう考え方に到達しなかった」
何故当初、「失われた10年」が起こったかは、ここでは触れません。(日経新聞が詳しく取り上げている通りです。)しかし2010年以降の世界を考える際には、日本が90年代に「グローバル化」に何故乗り遅れたかを分析し、それに対する対策を謙虚に考えることは、極めて重要な気がします。
そして、2010年以降の世界は、1990年からの「米国一極集中」の度合いは弱まり、中国やブラジル、インドと言った「途上国大国」が、どんどん存在感を増してくる世界となって行くかもしれません。そのような時代に日本が国際地位の低下に歯止めをかけたいとなると、戦後復興期ともグローバル化(アメリカ化)の時代とも違った、新たな現実に対応した国家ビジョンが、必要となる気がします。
もちろん日本には、ミクロレベルでは、欧米投資家が見落としているような企業が、まだまだ沢山ある気がします。そうした企業の中には、時代の趨勢を敏感に感じ取り、社内共通語を英語にして国際コミュニケーション力の強化に日常から努めたり、部長クラスへの昇進に、英語+第二外国語(中国語、タイ語など)の習得を条件とするなど、積極的に前向きな自己変革をしているように見受けられます。
一方、残念なことに、技術力の優位性にあぐらをかき、どうすれば世界でモノが売れるか、どうすればより大きな利益を得ることが出来るかという点を相変わらず軽視している企業も、まだまだ多いように思います。こうした企業は、かつて日本企業がアメリカのメーカーを駆逐して行ったように、今後韓国企業や台湾企業、そして最終的には中国本土の企業との、一層厳しい競争を強いられることになるように思います。
マクロレベルでの国家のビジョンについては、先日、日本の経済産業省が、ニューヨークの投資家向けに開催した日本の成長プランの説明会に参加して、話を聞く機会がありました。日本が魅力ある投資先となり得るか、偏見無く話を聞いたつもりですが、同省の現状分析と問題意識は素晴らしいと思う一方で、成長プランは引続き技術偏重で、また非効率な業界構造については「民間主導の解決を望む」と言った、消極的なものとの印象を受けました。
理由はともかく、諸外国が政府主導の産業再編や経済外交を公然と行う時代に、日本だけが改革を遅らせ、また業界再編への関与でも、政府や財界が消極的態度を続けていては、2020年に「何故『失われた30年』が起こったか」を、分析する羽目になるかもしれません。
世界第二位の地位を40年以上守るなど大きな潜在力を持ちつつも、20年の停滞を経てその地位を失いつつある日本と、様々な国内問題を抱えながらも、世界の中で圧倒的存在感を示すに至りつつある中国について、欧米メディアやウォールストリートがどう取り上げ、どう対応していくかは、今後も注目したいと思います。