貪欲国家?アメリカの真実 |
そうした話を考える際に、もっとも印象に残っている本が、ライフログにも挙げている『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美、日経BP社)です。
著者は「はじめに」の中で、日本では『アメリカでは』という前提で議論が展開されることが多く、それだけアメリカは日本にとって重要な国なのだろうが、『そこで語られているアメリカ像が一面的である事が多い』と述べていますが、これには同感です。
長銀、スタンフォードMBAを経て、ウォールストリートで株式アナリストとして活躍の後、西海岸のコンサルティング企業でシリコンバレーと仕事をしたという著者は、その経験に基づく洞察に、元アナリストらしく様々なデータを加えて、偏見や先入観を持つことなく、現代アメリカ社会の「真実」を本書の中で解き明かそうとしていると感じました。
本書の軸はタイトル通り「格差問題」となっていますが、実際の内容は多岐に渡っており、本書はクレジットバブル破綻前に出版されたものですが(その後に文庫本になって加筆がされているようですが)、アメリカがバブルに至った経緯や、経済政策とウォールストリートとの関係、そして貪欲に経済成長を追求するアメリカ人の国民性などについて、とても上手に説明されていると思います。
と言うわけで今回は、ウォールストリートを語る際に切っても切れない関係にある、アメリカという国自体の特徴について少々考えてみるために、本書の内容を以下で簡単にご紹介してみます。言うまでもありませんが、内容について誤認がある場合は全て私の責任であり、ご関心の方は本書をお読みになることを強くお勧め致します。
低金利政策とウォールストリート
今回の経済危機の直接的原因となり、また社会格差拡大にも大きな影響を与えた要因の一つに、「資産(住宅)バブル」があると思います。そしてそのバブル発生の主因と考えられているのが、「低金利政策」です。
80年代末から本格的に低金利政策が導入された経緯として、税収増のために是が非でも経済成長が必要だったという話は本文で詳しく解説されていますが、ここではウォールストリートに焦点を当てて、なぜ低金利政策が歓迎なのかという話を取り上げてみます。
(以下『』内は抜粋。改行は当方で付加。)
『株価は、基本的に企業収益と金利で決まる。金利が下がれば債券(ボンド)の価格は上がり、価格が上がった債券を売った投資資金は、株式に向かう。そうなれば株価は上がるし、低金利は企業や投資ファンド(LBOやPEファンド)の借入金負担も減らして、企業収益や投資収益を助ける。不動産投資においても最大のコストは金利だから、金利が下がれば不動産価格も上昇する。だから資産価格の上昇で最も恩恵を蒙るウォール街は、低金利を常に歓迎する。
銀行の連合体である連銀も、CPI(Consumer Price Index、消費者物価指数)に現れるインフレ率を加速しない範囲で金利を低く保ち、それに見合ったマネーサプライを続けておけば、資産価値は上昇する。そうなればウォール街は連銀を高く評価し、彼らの職も安泰である。』(以上、抜粋)
この話で著者は、アメリカの金融政策が、ウォールストリートの利益最大化目的と密接に関連していた、という点を批判的に指摘していますが、これは本書以外でも言われている話かと思います。
そうした当局とウォールストリートの蜜月の結果、クレジットバブルは膨張し、最終的に破綻に繋がってしまったわけですが、そこに至る経緯で、ウォールストリートがどのように急速に発展したかという話を、次に取り上げてみたいと思います。
ITとウォールストリートの関連
今回の経済危機の直接的原因となった、「証券化」のような金融技術が発達した背景について著者は、その根源はIT技術の発達(『情報革命』)にある、と述べています。IT技術の発達によって、『基本的に数字の世界』である金融業(ウォールストリート)が大きな発達を遂げた、というわけです。
高度で高速な演算が可能になったことで、リスク管理やデリバティブのような金融商品の開発が容易になり、投資銀行のFixed Income(金利・債券)業務の収益は、大きなメリットを受けたと思います。著者はその点に関して更に、金融商品の多くが米国債の金利を基準にプライシングされることから、市場を通じて金利動向に大きな影響を及ぼす大手金融機関の力が一層強まる結果となった、と指摘しています。
これらがすべて、アメリカ政府とウォールストリートが計画的に推し進めたことであったのか、それとも偶然の結果であったのかは、何とも言えない気がします。しかし歴史的背景として、米ソの軍事的緊張の緩和によって軍事予算が削減され、軍需産業で失職したロケットサイエンティストと呼ばれる優秀なエンジニアがウォールストリートに流入した結果、金融技術が加速的に発展したというのは、有名な話です。
しかし、一部のプレイヤーが巨額の資金を動かすようになり、またコンピューターの数理モデルが『不合理な事態』の発生を想定していなかったため、1997年のロシア危機のような想定外の事態が発生した際に、金融システム全体に危機が広がってしまう恐れが出た(システミックリスクが発生しやすくなった)点は、『情報革命』に支えられたウォールストリート発展の、最大の問題点であった気がします。
アメリカの金融化?
金融技術の発達に加えて、80年代から進んだ「脱・製造業」と言った産業構造の変化もまた、『情報革命』によって支えられた『アメリカ産業界の金融商品化』によって加速的に進展した、と著者は指摘しています。
前述の通り、リスク管理や商品開発がIT技術の発展によって容易になったことで、『従来は市場性のある投資の対象にならなかった事業や資産も投資対象に』なりました。代表的なものでは、不動産や住宅ローン債権があるかと思いますが、そうした商品が投資対象になったことで市場が世界に広がり、ウォールストリートは大きなビジネスチャンスを得ることになったと著者は述べています。
債券の形に証券化されたアメリカの住宅ローン債権は、CDOやその他の金融商品に作り変えられて、高金利商品を求める世界中の投資家に販売されました。その結果、サブプライム危機が発生した際に、問題の大きさが把握できず、半ばパニックが発生したことは、記憶に新しいところです。証券化の技術自体は以前から存在していましたし、サブプライムローンという原資産自体の問題も大きかったと思いますが、IT革命によって問題が巨大化してしまったのは、間違いない気がします。
著者は狭義の証券化に留まらず、「株主資本主義」についても厳しい見方をしているようです。『単に持ち主が変わるだけで、しかも所有権が広く分散するだけならば、事業や資産の実態に変わりはない。しかしこうした事業や資産の持ち主の代表が、その事業とともに生きる人ではなく、ウォール街の代理人になると、話は全く違ってくる』と述べた上で、アナリスト達の株価評価を意識しすぎる結果、企業の経営者が「ボトムライン(株主利益)」だけを追求するようになってしまった、と指摘しています。
そしてその結果、『新規の投資はコストの低い海外に振り向けられ、アメリカ国内の工場やオフィスは次々に閉鎖され、仕事は海外にアウトソースされて国内の従業員はレイオフされ』ることになり、技術取得機会を失った「未熟練労働者」(かつて将来の中産階級になるはずの層)は、単純労働のレベルから抜け出すことが困難になり、ミドルクラスの貧困化が進んでしまったのだそうです。
しかしアングロサクソン文化では、東インド会社の時代から、企業は株主の物(往々にして経営者=株主であったからですが)という考えが浸透していたと言われるので、90年代以降の「産業の金融化」は、その延長上にあったと言う方が、妥当である気がします。
また、70年代から進められたアメリカの年金改革も、長期資金運用のニーズを生み出して、株式リターン最大化へのニーズを、社会的に強めることに繋がった気がします。これに関しては、ウォールストリートが自らの事業拡大の為に画策した政策であったとの批判もあるでしょうが、先進国で高齢化が進むにつれて、国が将来の年金を保障するということが困難になって来ていたという現実的問題も、その背景にはあった気がします。
アメリカ製造業の衰退についても、産業の金融化が原因であったわけではなく、70年代から80年代にかけて、円安を背景に勢いを増していた日本企業に、アメリカの製造業が値段やクオリティ面で対抗できなくなっていた、というのが現実であった気がします。大手3社のうち2社までが破綻に追い込まれた自動車産業などは、その端的な例かもしれません。
80年代当時、アメリカは製造業の保護を目指して、日本企業に対するダンピング提訴などの政治圧力を強めていました。日本企業はそのような経済摩擦への対応として、アメリカでの現地生産を拡大していったわけですが、その間に『アメリカ国内の製造業は、家電、重電、機械等から撤退して通信やコンピュータ・ソフトにシフトし、工場がいらない金融サービス業を拡大』したと著者は指摘しています。
そのような流れを受けて、最近のアメリカ批判の中に「ものづくりをせず(製造業を捨てて)金融を取ったことが問題の根源だ」というものがありますが、それは単に、製造業の衰退という危機に対応した「転んでもたたでは起きない」アメリカの経済戦略であったのかもしれません。(その結果、格差拡大が進んでしまったことは、間違いない気がしますが。)
そもそもアメリカの製造業が淘汰されてしまった根本的原因については、著者も触れていなかったと思いますが、これはアメリカでは、もっとも優秀なエンジニアが、Boeingのような航空宇宙=軍需産業(と、その延長にあるIT産業)で働くのに対して、日本とドイツでは、自動車や電機産業で働いていたと言うことがあったのかもしれません。現在ではそうした人材は金融業界にも入っており、それがアメリカの金融・IT産業の強さの背景にあるのかもしれません。
インフレとクレジットバブル
最初に低金利政策について書いた際に、『インフレ率を加速しない範囲で金利を低く保ち、それに見合ったマネーサプライを続けておけば、資産価値は上昇』して、中央銀行はウォールストリートの覚えがめでたくなる、という話を取り上げました。
しかしNYのような欧米の大都市で暮らしている人であれば、おそらく誰でも、数字で示されている以上のインフレ(物価上昇)を、実感しているのではと思います。これは資産バブルと関連する話なので、ちらっと触れてみたいと思います。
尚、インフレ率を表す「CPI(消費者物価指数)」の主な構成要素は、食料・飲料、住居費(家賃等)、交通費(ガソリン代)、医療費、教育費などで、持ち家や株式等の資産価値の上昇は、直接は物価指数に含まれません。そしてインフレ発生の抑制は、しばしば中央銀行の最重要政策目標とされています。
(以下、『』内抜粋。改行は当方で付加)
『マネーサプライが増えて借入が容易になり、それが投資に向かって資産価値を吊り上げ、そこで売却益が発生すれば、それはGDP(国内総生産)を押し上げる。しかし資産価値の上昇はCPIには直接反映されない。だから資産からの収益ではなく給与や賃金で生活している人にとっては、CPIに現れるインフレ率やGDPの成長率は個々の生活実感とかなりずれてくる。
現実に、中国からの低価格品輸入では代替できない医療サービスや教育費、住宅価格の上昇率は、CPIの上昇率を遥かに上回っている。しかし資産価値が上がってGDPが上がり、CPIは大して変わらなければ、インフレなき成長が続いているように見えるし、しかもキャピタル・ゲインに対する課税率は低いから、資産を持たない個人にとっての悪循環は、ウォール街にとっては素晴しい好循環になる。
おまけに金利が低ければ、(中略)金持ちは借金をして投資にレバレッジを効かせ、投資収益率を上げて自らの所得を増やす。他方、貧乏人は借金して金利付きの高い買い物を楽しみ、消費を押し上げて自らの所得を減らす。』(以上、抜粋)
この、いわば「資産価値上昇政策」の顛末が、クレジットバブルの破綻と社会格差の拡大であったことは、今や間違いない気がします。オバマ政権には、長年に渡って行き過ぎてしまった、さまざまな経済・社会政策の修正という、非常に難しい課題が突きつけられているわけですが、このような時にオバマのような政治家が大統領に選ばれる辺り、アメリカという国の若さと柔軟性を痛感します。
金融業界人は「勝ち組」か
金融危機を引き起こしたウォールストリートへの批判の象徴として、高額報酬の問題がありますが、これは格差社会の象徴のように言われることもあるかと思います。本書の著者は、アメリカの社会階層を、以下の4つに具体的に定義していました。(以下、大部分抜粋。円換算は1ドル100円。)
「特権階級」
アメリカ国内に400世帯前後いるとされる、純資産10億ドル(約1000億円)以上のビリオネア(超金持ち)と、5000世帯強と推測される純資産1億ドル(約100億円)以上の金持ちとで構成される、特権的富裕層
「プロフェッショナル階級」
35万世帯前後と推測される純資産1000万ドル(約10億円)以上の富裕層と、純資産200万ドル(約2億円)以上でかつ年間所得20万ドル(約2000万円)以上のアッパーミドル層
「貧困層」
70年代以前に「中産階級」だった人で、アメリカの国力が相対的に低下する過程で、専門スキルやノウハウを磨き「プロフェッショナル階級」へステップアップすることが出来なかった、メーカーなどで働く人の大半。経済のグローバル化によるITや製造業の海外移転の煽りも、直接的に受けている。
「落ちこぼれ」
貧困ライン(4人家族で年間世帯所得が2万3100ドル(約230万円))に満たない世帯や、南部諸州の黒人・ヒスパニック、ネイティブ・アメリカン、難民・違法移民の大半など。アメリカの人口の25〜30%前後を占めている。
上位二階層を合わせた500万世帯前後、総世帯の上位5%未満の層に、全米の60%の富が集中している。アメリカ国内の総世帯数は1億1000万だが、経済的に安心して暮らしていけるのは、この5%の“金持ち”たちだけだろう。(以上、大部分抜粋)
この話を持ち出すことで著者が指摘しようとしたのは、かつて日本人が憧れたとされる、郊外の大きな家に住む「豊かな中間層」の消失なわけですが、これを読んでいて感じたのは、高額報酬が批判されるウォールストリートで働く人たちも、おそらく上位二階層にはほとんど入れていないのでは、という事です。
単純に考えてみても、著者が金持ち層の最低レベルとして定義する「純資産200万ドル」の富を税引き後で得るためには、NYやロンドンの実質最高税率(約50%)を考慮すると、100万ドル(約1億円)の年俸を、最低5-6年は稼ぐ必要があります。そんなに稼げる人はウォールストリートでも一部であることは言うまでもなく、しかも給料の多くは、高騰した物価によって相殺されてしまいます。
つまり、彼ら・彼女らが幾ら高給を稼いでも、何らかの方法で資産価値上昇のメリットを受けたのでなければ、アメリカでは結局「勝ち組」になることは出来ない、ということになるかもしれません。(資産の代表たる株価と不動産価格が暴落しているのは、ご案内の通りです。)この話は、ウォールストリートの高額報酬云々というレベルを通り越して、アメリカの格差問題の大きさを、端的に示している気がします。
貪欲国家アメリカの真実?
このように見てみると、一部の特権階級に牛耳られ、多くの国民が貧困層へとたたき落とされたアメリカと言う国が、何とも悲惨なところに見えるかもしれません。
実際著者も「はじめに」の中で、『事実アメリカに長年住んでいると、ウンザリし飽きるくらい、ウンザリの種には事欠かない。おそらく当のアメリカ人でも、ウンザリしている向きは少なくないだろう』と述べています。これは本書が出版されたブッシュ政権当時は、ますますそうであったのではと思います。
しかし著者はまた、『にもかかわらず、毎日の生活実感からすると、アメリカは基本的にとても住みやすい。エネルギーに満ちていて、人々は明るく、新しいベンチャーが次々に誕生し、興味深い出来事が周囲で次々に起きて、退屈しない。将来を楽しみに、元気に楽しく暮らせる環境であることは間違いない』とも述べています。私も2002年よりアメリカに住んでいますが、不況のどん底の今でも著者の意見には賛同するところです。
アメリカという国の特徴について著者は、『アメリカは封建ヨーロッパに似た階層社会となっており、度重なる戦争や内戦の結果蓄積された富(ストック)は不平等に分配されているが、それでも国民が怒らないのは、社会に「upward mobility」があるからである。国民は常に前向きで、努力をし、物事が順調であることをノーマルと看做す。(あいさつをすると必ず「元気だよ」と返ってくる。)』と言った趣旨のことを述べています。
また、『様々な価値観や出自を持つ移民にとって、成功の共通した尺度として「富の創造」が明確に肯定され、「アメリカンドリーム」として社会的に評価されている』点、また『移民国家で社会的なしがらみが少なく、未知への好奇心とチャレンジ精神が存在する、極めて特異な社会である』点も、指摘されていました。
以上のことを考えると、ウォールストリートの「貪欲さ」を批判したところで、それがアメリカと言う国家の歴史や社会に根ざしたものである以上、取り除くことは困難である気がします。(全く同じような理由から、日本の経済慣行を「アメリカ化」することも、困難だと思っています。)しかし望む、望まないにかかわらず、現在の世界秩序が変わらない限り、経済秩序も引き続き欧米中心で決定されていくでしょうから、そこと向き合った現実的な戦略を持つことは、肝要であるかもしれません。
政策決定者には、システミックリスクの再発を封じ込めつつ、過剰規制によって市場の流動性を損なわないような枠組み作りを、期待したいと思います。